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高橋祐幸のブラジル便り・目次
 

高橋祐幸(たかはし ゆうこう)

ブラジル・サンパウロ在住。1933年岩手県生まれ。1960年にブラジルにわたり、日本商社の現地法人(三菱商事)に35年間勤務。退職後ボランティアでトヨタカップ南米代表実行委員を15年間務め、川崎フロンターレ、大宮アルディージャのブラジル代表顧問を約8年間務めた。県立盛岡中学(旧制)で、八重樫茂生(メキシコ五輪銅メダル日本代表キャプテン)と同級生だったことがサッカーに携わる機縁ともなって、日本にもブラジルにも広いサッカーの人脈を持つに至った。


 

 


#20
アミーゴが伝えたブラジルの名画

★寺元晴一郎さんとの縁
  有名な美術商の寺元晴一郎氏は、私の極めて親しい日本のアミーゴの一人である。その寺元さんが、世界的に有名な浮世絵師、川喜多歌麿(1763年頃〜1806年)の晩年の傑作といわれる肉筆の大作「深川の雪」を発見、所蔵していることがテレビや新聞などで大きく報道された。
  「雪・月・花」をテーマに描かれた三部作は「雪」と「花」は明治20年以前に画商のS.ビングに、「月」は画商の林忠正に買い取られてパリに渡り、その後「雪」はパリに滞在中の浮世絵収集家、長瀬武郎が買い求めて昭和14年に日本に持ち帰られたと言われている。
  現在、「吉原の花」はアメリカの「フリーア美術館」が所蔵、「品川の月」は同じくアメリカの「ワズワース・アセーニアム」が所蔵している。「雪」だけが戦後まもなく銀座松坂屋で開催された「第2回浮世絵名作展」に展示されたのを最後に行方不明となり,世界の美術界が探していたが、何とその幻の絵を私のアミーゴが発見・所蔵していたとのニュースが報道され、私は驚くとともに、我がことのように感激した。
  寺元さんは古典絵画・骨董品などを専門に扱う美術商だが、鋭い鑑定眼の持ち主で、ニューヨークのメトロポリタン美術館が年一回開催するオークションに日本から招かれる鑑定専門家三人の中の一人である。
  世紀の大発見と云われる程の絵だから、その価値は何億円になるものやら計り知れないが、寺元さんは箱根の岡田美術館に展示して一般公開することとし所蔵を岡田美術館に移管した。世界的に知られている三部作の一つが日本で公開陳列されることになり、歌麿ブームの折から注目されている。
  十数年前、寺元さんはブエノスアイレスの美術品・骨董品市場を見学調査の為に南米に来られて、まずサンパウロに私を訪ねて来て、アルゼンチンに一緒に行かないかと誘われたので、私はブエノスアイレスへ同行した。その市場はフランスのパリで開かれる「泥棒市」と呼ばれる有名な美術品・骨董品市場に匹敵する市場で、私も何十年か前に行ったことがある。寺元氏からひとつひとつ解説を聞きながら3日を費やした見学で、私もすっかり美術・工芸品の虜になって仕舞った。
  その市場で一軒のBANCA(陳列台)に足を止めた寺元氏が、ワイン、コニャック、リキュール、水のクリスタル・グラス・セット各1ダース(計48個)を指に唾をつけて縁や底を撫でるように1個1個入念に調べたうえで、2000ドル払ってそれを買い取ったので、てっきり私は寺元さんが日本へのお土産に買っているのだろうとばっかり思っていたところ「これは貴男と旅行をご一緒できたことのお礼です」と云われてびっくりさせられた。
  そのグラスは百数十年前にフランス王朝へ陶器を納めていた有名な工房が作ったもので、日本へ持ち帰ったら1万ドル近い値段になる貴重なものだと云うことだったので、女中が洗って壊したりでもされたら大変だからと、頂戴して家に持ち帰って直ぐ我が家のCOPA(食堂)の飾り棚に並べて、使わずに見るだけの我が家の「お宝」になって保存されている。

★我が家の壁に名画を発見
  寺元さんが日本へ帰国される日に、我が家へ昼食にお誘いお招きしてCOPAの飾り棚に並べた頂戴したグラスを見て頂こうと思ったが、それには見向きもせずに壁に掲げてあった絵額を、食事すらせずに、ただ一心に見詰めていたが「高橋さん。この絵はどこで手に入れたものですか? かなり高額だったでしょう」と言い出されたことにビックリ仰天。「一体この絵はなんですか?」と尋ねたところ「これはGIOVANNI OPPIDOと云うPORTINARIと CAVALCANTIに並ぶブラジルの世界的に有名な画家が描いた絵で、OPPIDOは遠近感と明暗のコントラスト描写に優れ、世界中の美術大学の教科書に取り上げられていることでも有名です」とのことに、またまたびっくり仰天。
  仔細に額を調べていた寺元さんは、絵のキャンバスに微妙な反りが発生しており、このままでは絵にひび割れが生じたり、油絵のTinta(絵の具)が剥げ落ちたりするリスクがあるので、今のうちに美術品の保全や修繕に詳しい専門の職人に頼んで反りを直して貰う方がいいとのご宣託だった。
  日本に送って日本で修繕するなら、自分の住所宛てに送ってくれたら知っている専門の職人に修繕させて送り返すからどうかとのお奨めがあったので、そうすることにしたが、もし修繕したあと日本で売って欲しいのであれば最低でも5〜6万ドルで売れるから売ってやってもいいと言われて、またまたビックリ仰天の連続。

★勤務先の社長から譲られたもの
  さっそく美術品専門の梱包・運送の業者に持ち込んで、日本向けに発送して貰いたいと依頼したところ、業者の店主はひと目見ただけで「あっ、これはダメです」と云うものだから「なんでや?」と聞いたら、この絵は有名なOPPIDOの絵でPATRIMONIO NACIONAL(国有資産)に指名されているので政府の許可無しに海外へ搬出することは出来ないとのことに、もうビックリ仰天また仰天のしっぱなしだった。
  持ち出して海外で売って外貨で受け取ると、ブラジルで税金を払わなければならないということだったので、それならば、私の知人が館長をしている山梨県立美術館に寄贈することにしようと、寺元氏に手続きを依頼したところ、山梨県立美術館から英文で「有難く寄贈をお受けします」と云う公文書を書いてもらって、それを在日ブラジル大使館に示せば、ブラジル政府から持ち出しの許可が得られること分かった。それを実行しようと寺元氏に奔走して貰ったが、ブラジル大使館に「美術品鑑定の知識は無いので査証する資格が無い」という理由で断られた。PATRIMONIO NACIONALの持ち出しは国家的損失になるので海外流出の取り締まりが厳しいと云うことだった。
  この絵は、私が勤めていた日本商社の現地法人社長の社宅の応接間に長年飾られていたものだったが、社長交代で新社長は一戸建ての邸宅は危険だからマンション住まいにしたいので、そんな大きな額は置き場所がないと引き継ぐことを嫌って売り払うことになった。市内の有名な画廊に買ってもらおうと持って行ったら画廊店主は「こんな高い絵はいつ売れるか判らないので、絵をお預かりしておいて、買う人が現れたらその時に(私に)お金を渡すことでいいか?」とのことだった。社長は「あぁ、めんどくさい。君がこの絵をもらってくれれば一番いい」と気前よくポンと私にくれることになって、我が家の壁に掲げられることになったのである。

★西村博物館へ寄贈
  そんな価値ある絵であるとは知らない私には「猫に小判」で、我が家の壁に掲げたまま長年くすぶっていたものが、世界の美術品に詳しい寺元氏の目に止まって発見されたのだから偶然とは言え、私にとっては奇跡的な出来事であった。
  そんな貴重な絵であることが判ったことと、日本で修繕することも、日本で売ることも、日本の美術館に寄贈することも、すべてダメなことになった経緯を「彷徨える名画」と題してエッセーに書いたのが、私の最大のアミーゴ西村俊治翁の目に止まり「ぜひ、それを西村財団の博物館に譲って下さい」と強く望まれて、私は俊治翁になら譲るのではなく無償で差し上げますと、西村博物館に寄贈することにした。
  差し上げる前にキャンバスの反りを直せる職人がブラジルにいるかどうかを調べたら、ただ一人、リオデジャネイロにいることが判り、修繕代と(えらい高い)保険料、当時のCAMBIO(為替交換率)で約2000ドルを払って修繕し、俊治翁にお届けしたのである。
  大変喜ばれた翁は、博物館内部の茶室の一画に特別にその絵を飾ってくださった。この絵の置き場所としてふさわしい場所に落ち着いたことと、翁にたいへん喜んでいただけたことで「あぁ良かった、良いことをした」と私も大いに満足したものである。
  その後、翁が99才で大往生を遂げた後、ファミリアが供養のために造った「西村俊治メモリアル庭苑」の開園式がサンパウロ州知事も出席して行われた時に招待者一行が博物館も見学したので、私は皆にその絵を見て貰えることを期待して案内したのだが、驚いたことに茶室が無くなっていて絵もどこへ行ったのか消えてなくなっていたのに、これまたびっくり仰天。
  あとで探し出して貰ってまた陳列に戻して貰ったが、絵のIdentidade(身元証明)とも云うべき最も大事なOPPIDO本人署名のCertificado(証明書)が紛失して見付からず残念なことになってしまった。

★アミーゴの手で伝わる
  GIOVANNI OPPIDOはイタリア生まれで、幼少の時に両親と共にブラジルに移民したあと、RIOの国立美術大学で絵画術を習得し、のちに有名画家の座についた人物である。私が西村財団の博物館に寄贈した絵は「CAMINHO DE MINAS(ミナスへの道)」と題した絵で、ミナス州の奥地へ向かうGARIMPEIROと呼ばれる宝石堀り人夫を描いた絵である。それと兄弟になる(別のアングルから描いた)絵があるということでOPPIDOの代表的な絵のひとつと云われているが、その兄弟となる絵が今はどこの誰に所蔵されているのか判らない。インターネットでOPPIDOの名前をクリックして開いてみたら、それらしい絵が見付かったので、確かに有名な画家であり有名な絵であることが証明され、またまた感激した。
  今ブラジル国内で所蔵されているOPPIDOの絵は、ブラジリアのPalacio Alvorada(大統領官邸)、Salon Nobre do Palacioo Bandeirante(サンパウロ州統領官邸)、IBC総裁室(ブラジル珈琲院)、Bozano Simonsen(元大蔵大臣を経歴した銀行家の私邸)にあることは判っているが、アミーゴの商社社長から私に渡され、アミーゴ寺元氏によって発見され、私の最大のアミーゴ西村俊治翁にリレーされて数奇の運命を辿ったこの名画が、願わくば翁の子孫たちの手によって終生大事に管理され、末永く西村財団の「お宝」として所蔵されることを望んでやまない。
(2014年3月記)


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