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サッカーマガジン 1975年2月号

天皇杯サッカー全日本選手権・総評
釜本ヤンマー、輝く2冠王
スターを生かした若いチーム力    (1/2)    

 ネルソン吉村からの好パスを受けた釜本のシュートは、稲妻のようにゴール左すみに突き刺さった。元旦恒例の天皇杯サッカー決勝の後半22分、大会の終盤に波乱を巻き起こした永大産業の健闘を突き放すヤンマーの決勝点である。リーグで100ゴールをマークし、新記録で得点王に輝いた“釜本のシーズン”の最後を飾るにふさわしい、ヤンマーの2冠王だった。
 それにしても――
 ヤンマーの優勝は、まったく釜本の力だけによるものだったろうか? リーグ9位の永大の決勝進出は偶然だったのだろうか? またもベスト8に残れなかった大学のサッカーは、いったいどうなっているのだろうか? あまりにも考えさせられることの多かった第54回全日本サッカー選手権大会だった。

ヤンマーの優勝は釜本の力か?
 試合の間だけ不思議に降りやんでいた雨が表彰式のときには、また降りはじめていた。天皇杯の決勝を元日にやるようになって以来雨が降ったのは初めてである。
 「今度の天皇杯は変わったことが多かった。お正月の雨も、その一つだったな」
 泥まみれのユニホームのまま、しかし、明るい顔で並んでいるヤンマーのイレブンを見ながら、ふっと、そんなことを考えていたら表彰式でも、また変わったことがあった。
 日本サッカー協会の野津会長から、表彰状、天皇杯、その他のトロフィーが、つぎつぎに手渡される。主将の吉村が出て受けとる。浜頭が出る、水口が出る、西片が出る。そして最後にジョージ小林が出た。ところが釜本は、同僚たちに、トロフィーを受け取りに出るように指示し、「もっと高く掲げて見せろよ」とゼスチュアで注文をつけたりしながら、自分自身はついに列に並んだままだった。
 「だって、ぼくは今までに何度もトロフィーを受けとりに出ているもの」
 あとで釜本は、こういっていたが、同僚たちに花をもたせるつもりだったことは明らかだ。
 試合ぶりだけを見ていると、釜本はチームのなかで、思いのままに振る舞い、花道だけを、かっこよくやっているワンマンのようである。釜本の強さが、ヤンマーの強さであるように思える。
 しかし、実は釜本の強さを生かした他の選手たちのチームワークが、ヤンマーの勝利の秘密であり釜本自身も、そのことをよく心得ていた。釜本は、トロフィー授与の晴れ姿を同僚たちに譲ることによって、プレーでは自分を立ててくれたチームメートに感謝の気持ちを示したのだった。
 今シーズンの釜本は、ゴール前での試合ぶりに、非常に余裕がみえた。
 天皇杯の準決勝、三菱重工との試合の後半35分にあげたヤンマーの2点目は、その代表的なものだった。
 中盤左寄りから、吉村が長いクロスパスをあげようとしたとき、釜本はゴール前、右寄りに進出していて、三菱の落合に、しっかりマークされていた。
 ボールが空中を飛んでいる間に釜本は、ちょっと腰をかがめたように見え、その瞬間に落合は勢いよく助走をつけて、ヘディングをせろうと飛び出した。
 しかし、ボールは、ジャンプした落合の頭上でぐんと伸び、小腰をかがめて待った釜本の方へ落ちた。すばやく回りこんで、腰をひねりざまの右足のシュート。ボールは稲妻のように左すみのネットに突き刺さっていた。
 あとで釜本は「あそこでヘディングに飛び出しても、とどかないことはわかっていた」と語っていた。「吉村からのパスのコースを読み切っていた点で落合に勝った」というわけである。
 釜本と吉村のコンビは、もう8年にもなるから、これを当然ということもできるが、釜本のゴール前での円熟ぶりを示したシーンだったと思う。
 シュートそのものも、まったくすばらしかった。決勝戦後半22分の得点も同じコースだったが、どちらも、釜本のシュート力が、まだまだ衰えていないことを示していた。
 釜本は30歳。体力的には、すでに限界に近づいている。その釜本が、決定的な場面で余裕たっぷりの仕事ぶりを見せることができたのは、なぜだろうか。
 ヤンマーの鬼武監督は「ゴール前で得点するという本来の仕事に専念して、それを立派にやってくれたということでしょう。それに今村、堀井、阿部洋などの若手が進境をみせて相手をおびやかした。これが有形無形に、釜本の余裕を作ってくれた」という。
 最近のヤンマーでは、守備ラインから前線への攻撃参加は少なくなっている。
 「力があればともかく、力がないのに前線へ無理に出ることはない。全員攻撃、全員守備といっても、それぞれのポジションで、まず仕事をやりとげることが第一」
 という考えである。
 バックのプレーヤーは守備ラインで忠実に仕事をし、中盤のプレーヤーは主として中盤で力を発揮する。ウイングのプレーヤーは前線で持ち味を生かす。得点をあげるためには釜本という日本一のストライカーがいるんだから、その威力を全員の力で最大限に発揮させようじゃないか――そういうやり方だった。
 ヤンマーがリーグとカップの2冠に輝いたのは、たしかに釜本の力だが、釜本の力を生かしたのは吉村−釜本のラインを助けるために働いた若手のチームワークだったわけだ。
 表彰式での花道を同僚に譲った釜本は、そのことを十分に知っていたはずである。

永大の決勝進出は偶然だったか?
 同じレベルのチームがあい争い一つ二つの番狂わせがあっても、最終的には力のあるものが勝つ、これがリーグ戦の本質である。
 下位のチームに、上位チームへ挑戦する機会が与えられ、偶然の生んだ波乱が決定的な影響をもつ。これが天皇杯のような一発勝負のカップ戦の面白さである。
 日本リーグ9位で、入れ替え戦出場の決定している永大産業がチーム結成3シーズン目で天皇杯の決勝に進出したのは、確かにカップ戦の面白さの一つの例だった。
 永大は決勝大会2回戦から出場し、まず日本リーグ2部の電電近畿と引き分け、PK合戦で3回戦に進み、ここでも新日鉄と引き分けてPK合戦で準々決勝に出た。
 準々決勝では、藤和に1−0で勝った。しかし、藤和は中心選手の越後が故障で欠場していたし、永大の得点は、まったくラッキーなもののように見えたから「永大は、また恵まれたな」という感じだった。
 準決勝で東洋工業に2−1で勝って決勝進出を決めたのは、さすがに新聞でも大見出しになった。だが、東洋も小城を病気で欠いていたから、永大は対戦相手に恵まれて勝ちあがったといっても、おかしくはない。
 決勝がヤンマーの一方的勝利に終わるだろうと予想した人も少なくなかったのではないかと思う。ヤンマー対永大は、異色の顔合わせではあるが、リーグの1位と9位である。あまりにも力に差があり過ぎて、盛り上がりに欠けるのではないかという心配があった。
 ところが、決勝戦は、冷たい雨にたたられて、スタンドは約2万とややさびしかったにもかかわらず例年に劣らない白熱したものとなった。
 ヤンマーが終始押し気味で前半28分に、吉村−釜本のコンビによる攻めを堀井のシュートに結びつけて先取点をあげた。
 しかし、永大も中盤からジャイロのあげるロビングに、中山、中村らが飛び込んで、しばしばスリリングな場面を作った。
 後半18分に、永大は、松原の左からのセンタリングを受けて鈴木がヘディング。これをGK西片がハンブルし、中村が決めて同点にした。中村は前年度に日本リーグ2部の得点王だった、なかなかしぶといストライカーである。
 永大の同点は、わずか4分で釜本の好シュートに破られたが、そのあとも大久保監督はゴール前の混戦に強い小崎を、負傷を押して交代出場させ、終了寸前にも総反撃をみせて、最後まで執念をみせた。
 ここまで、がんばりをみせられては、永大の決勝進出を、もはや単なる偶然とか、ラッキーという言葉で片づけるわけにはいかない。幸運もあったには違いないが永大がカップのファイナリストにふさわしい何ものかを、身につけてきたことを認めざるをえない。
 日本リーグの前期には1勝もあげられなかった永大が、後期には4勝を記録し、天皇杯の決勝にまで出たのだから、急上昇の原因は、後期から加わった新しい要素、つまり白人のジャイロとジャイール、黒人のアントニオの外人選手3人に求めるほかはないだろう。
  永大は、このブラジルから来た3人を、3人とも中盤で使うという思いきった策をとっている。
 3人のなかでは、黒人のアントニオはやや見劣りし、準決勝、決勝には負傷で欠場したが、ジャイロとジャイールの足わざは、永大のなかでは断然光っている。
 この2人のキープから前線につなぐ攻めと、ジャイロのける中盤のフリーキックからの攻めが永大の武器だった。
 この外人選手と前線とのつながりが、試合を追うごとに良くなってきたこと、勝ち進むにつれて、チームの闘志がみるみる盛りあがってきたことが、永大健闘の原因である。
 「ブラジルでは、大して名のある選手でもないのに、3人が加わっただけで、他のチームがやられるのだから、日本のサッカーも落ちたものだ」
 という声があった。
 実をいえば、日本のサッカーは落ちたわけではない。
 昔の方が、もっと日本のレベルは低かった。ただ、井の中のカワズで、ブラジルの選手と比べるチャンスがなかっただけである。
 新興チームの永大が、これまでの日本サッカーの考え方や行き方にとらわれずに、新しいチーム作りを目ざし――はっきりいえばプロ化への道をめざし――毛色の変わった選手を3人も導入して一挙にのしあがったのは、日本のサッカー史を大きく変える出来事だというべきではないだろうか。


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