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高橋祐幸のブラジル便り・目次
 

高橋祐幸(たかはし ゆうこう)

ブラジル・サンパウロ在住。1933年岩手県生まれ。1960年にブラジルにわたり、日本商社の現地法人(三菱商事)に35年間勤務。退職後ボランティアでトヨタカップ南米代表実行委員を15年間務め、川崎フロンターレ、大宮アルディージャのブラジル代表顧問を約8年間務めた。県立盛岡中学(旧制)で、八重樫茂生(メキシコ五輪銅メダル日本代表キャプテン)と同級生だったことがサッカーに携わる機縁ともなって、日本にもブラジルにも広いサッカーの人脈を持つに至った。


 

 


#33
甘やかされている日本代表
(2014/7/7)

(お断り)
  ブラジルの新聞は日本代表戦については小さな記事で伝えるだけで試合の戦績以外のザッケローニ軍団に関する情報は何も知ることが出来ない。日本チームについては、当地で発行されている邦字紙で知るしかない。この原稿は私が僅かに聞き知ったことと、私の感想をまとめたものだから、偏見・誤解・ミスがあるかも知れないことをお断りしておく。

◆精神面で負けている
  ザッケローニ監督は 帰国に当たってベースキャンプのイツゥ市で記者会見に臨み、悲痛な表情で「選手選びも、作戦も、采配も全て自分がやったが,結果を出せなかったことは全て自分の失敗だから、その責任を取って退任することを決意した」と深々と頭を下げたと云う。
  私は、ザッケローニ監督に「選手たちはそれなりに懸命に戦ったと思うが、如何にせん世界レベルの実力の差は否めず、今後はその差を埋めるための根本的な改革をし、訓練を強化していかねばならない」と言って欲しかった。
  日本がW杯の決勝大会に出られるようになったのは、第16回フランス大会からで、それまで24ヶ国代表によって争われていたのが、32ヶ国代表に拡大されたおかげである。第17回日韓W杯はフェリッペ・トルシェ監督の采配で16強に入ったもののトルコに敗れて8強入りを果たせなかった。第19回南ア大会(岡田武史監督)も決勝トーナメントに進んだもののPK戦で敗退、だが第9位になった。このように、W杯に出場できるようになって 少しずつ成績を上げてきたが、今回、第20回ブラジル大会では ザッケローニ監督で1勝もできずに予選落ちとなってしまった。 
  今回の日本の成績を得点・失点の数字で見る限りでは、如何にも接戦で惜敗したように見えるが、内容は他の代表チームと比較して、何処までも喰いついていく気力、迫力、決定力、しぶとさなど、精神面で負けていのではないかと私には見えるのである。いつも言われる体力・身長・脚力の弱さだけではないと思う。

◆ブラジル選手の根性
  Jリーグが始まった頃に中山ゴンと云うFW選手がいた。彼のボールに喰いついて死にもの狂いで突っ込んでいくあのファイト・度胸・意地・根性が今の日本人選手に欠けているのではないかと、私には思えてならない。
  トルシェもジーコもそしてザッケローニも、殉死をも厭わぬ「サムライ精神」を教えることは出来なかっただろうと私は思う。
  そんな古臭いバカげた考えが近代サッカーに通用するかと一笑にふされるのを覚悟の上で言わせて貰う。
私が世界的にも有名なブラジルの名門クラブGREMIOの「名誉クラブ会員」だった頃 控えのゴールキーパーにM選手がいた。
  レギュラーは代表チームのGKでもあったD選手で、国内リーグ戦のGKも独占していたが、D選手の怪我で出番がきたときに、M選手はD選手を凌ぐ見事な活躍ぶりでGREMIOに勝利をもたらしたこおとがあった。
  最後の場面で横っ飛びでセーブしたときに右手の指2本骨折したが、M選手は「指の1本や2本無くたって私が出ます」といって、ぐるぐるに巻いた包帯で手袋もはめられない痛々しい姿でその後のリーグ戦を3戦続けてGKを勤めたのだった。ドクターたちの止めるのも聞かず D選手が復帰するまで戦い続けたM選手に、私は昔の日本武士道精神を見た思いがして感動させられた記憶が未だに生々しい。
  今回のW杯でも、ブラジルのネイマールやウルグアイのスワーレス選手のように、60日間の治療期間が終わらないうちに大会が始まったにも拘わらず、出場して活躍している選手を見ると、私は日本人選手にはない「武士道精神」を感じるのである。
  スワーレス選手は体当たりした相手チームの選手の肩に噛み付いて9試合の出場停止の罰となってウルグアイに帰国してしまったので決勝トーナメントでは彼のプレーは残念ながら見ることが出来なくなったのは残念だ。

◆ブラジルの進出に一安心
  W杯は「ルールある戦争」だとも言われる。国家・国旗・国歌の名誉に賭けての戦いである。そこに戦死も負傷も厭わない兵士が出ても私はそれでいいではないかと思うのである。
  日本は僅か20年あまりでW杯に出られる急速なレベルアップに成功した。これに自己満足した日本サッカー協会が大袈裟な自己宣伝「日本のサッカーは世界に通用する大発展ぶり」を吹聴し、マスコミがそれを煽って、やたら選手をおだてあげ、それに乗っかったサッカーファンと云うよりも一種のファッションとして浮かれる若者が増えたあげくに、いたずらに選手をチヤホヤし、芸能タレントを追っかけまわすようにいて、日本代表選手をダメにしたのではないか?
  こう言ったら「それは年寄りの偏見に過ぎないよ」と笑い飛ばされるだろうか?
  ここまで書いた時点で決勝トーナメントの第1戦であるブラジル対チリーの対決があったので、パソコンから離れテレビに釘付けになった。延長(15分+15分)も決着がつかない大白熱戦の果てにPK戦になって、私はもう「ブラジルが負けるかもしれない」と観念したが、GKジュリオ・セーザルの好セーブで命拾いできて、セレソンが先の試合に?いだことで私も泣きたいほどの歓喜と感動に浸ることができた。
  昨年暮れ、まだ組み合わせが決まる前に頃に、ジャーナリストたちの座談会形式のインタビューに答えたフェリッペ監督は「ドイツ、オランダ、アルゼンチンよりも怖いのはチリーだ」と言ったそうだが、フェリッポンの予想が的中した大試合になったと言えよう。

◆旭硝子製の選手ベンチ
  「ザッケローニ軍団」は、1勝も挙げることができずに帰国してしまったが 日本が本大会に歴史的な置き土産を残していったことを一筆紹介してこの原稿を閉じることにしたい。 
  テレビで世界中の人たちが観たであろう、あの今まで見たことのなかったガラス張りの選手ベンチは実は日本の旭硝子が開発してFIFAに寄贈したものであり、12球場全てに据え付けられた。コンクリートの床に落としても絶対に壊れないスマートフォン・タッチパネル用のガラスを何枚か重ね貼りあわせて作られた強化ガラス製で、日本の本社の開発センター手造りのものだと云う。
  現在、世界中にある選手ベンチはプラスチック屋根が主流だが、古くなったり汚れたりしてくると透明度が落ちてベンチ後方のスタンドからピッチが見えなくなる欠点があった。 
  旭硝子は今年(2014年)はじめサンパウロ州内に南米工場を建ち上げて操業を開始し、会社創業の理念として「ブラジルと共に発展を」をスローガンとした。ブラジルでは「サッカーは単なるスポーツではなくブラジルの偉大な文化である」とまでサッカーの精華が評価されていることに着目し、折からW杯開催国になったこともあって、ブラジル人が最も喜び、かつ世界中の人からも注目を浴びる新製品を開発した。
  その成果がワールドカップの選手ベンチである。
  会社の企業理念である社会貢献をW杯の機会に実現し、日本がブラジルと世界のサッカーに貢献したことを、ブラジル大会の大きな遺産として知ってもらいたい。



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