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◆ビバ!スポーツ時評

サッカー日誌  2006年9月10日(日)

◆坪井玄道、内野台嶺を知っているか◆
 日本サッカー殿堂掲額式典
(9月10日、日本サッカーミュージアム)


★競技者5人、特別表彰2人
 東京のお茶の水駅から歩いて5分くらいのところに、日本サッカー協会の建物、JFAハウスがある。その中に日本サッカーミュージアムがある。さらに、その中に日本サッカー殿堂のコーナーがあって、日本のサッカーに貢献した人のレリーフを掲げてある。その第3回の掲額式典が、9月10日に行われた。
 今回、掲額されたのは次の7人だった。

(競技者=記者投票で選出)
 横山謙三、森孝慈、宮本輝紀、渡辺正、小城得達
(特別表彰=殿堂委員会で選出)
 坪井玄道、内野台嶺
 
 競技者5人は、いずれも1964年東京と1968年メキシコのオリンピック代表選手である。この2大会の日本代表だった選手を対象に投票してもらった結果、選ばれたものだ。

★草創期の功労者
 表彰式のあとでパーティーがあった。その席で、いろいろな人に聞いてみたのだが、特別表彰の坪井玄道と内野台嶺については「今回の表彰ではじめて知った」という人がほとんどだった。
 ただし、東京教育大(現在の筑波大)の出身者は、みな知っていた。なぜなら、このお二人は、教育大の前身である東京高等師範の先生だった人だからである。
 坪井玄道は、明治時代にサッカーを日本に紹介し、東京高師にサッカー部(当時の名称はフートボール部)を創設した。事実上、日本にサッカーを導入した先駆者である。
 内野台嶺は、東京高師の校長だった嘉納治五郎のもとで大正10年(1921年)の日本サッカー協会(当時の名称は大日本蹴球協会)の創設に尽力した。初代会長を決めるのは難航したらしい。それを舞台裏で調整したのは、この人だろうと、ぼくは推察している。
 
★殿堂入り選考の問題点 
 坪井玄道、内野台嶺は、日本サッカー草創期の功労者である。その功績を、現在の日本サッカー協会の首脳部の人たちも、知らなかったようすだった。だからこそ、サッカー殿堂で特別表彰して、多くの人に知ってもらう意義があるのだろうと思った。
 サッカー殿堂の表彰は、いいことのようではあるが、問題がないわけではない。
 たとえば、ベルリン・オリンピックで活躍した金容植選手を選ばないと「差別」だと思われかねないが、韓国の殿堂に選ばれている人だから、日本で選ぶのは逆に問題になるおそれもある。
 競技者表彰では、東京とメキシコのオリンピック代表を対象に記者投票したが、投票した人たちは、ほとんど選手たちの現役時代のプレーを知らないだろう。それ以前の、たとえば1958年メルボルン・オリンピック当時の選手を、どう選ぶかも問題である。

 

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