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サッカーマガジン 1985年9月号

ビバ!! サッカー!! ワイド版

プロ選手奥寺を使えない理由
全体のために一つを犠牲にする

奥寺をなぜ使えないか
島国根性? いや問題は日本の選手の戦術能力にある

 「日本のサッカーの島国根性、鎖国主義。またかと思うと情ないね。ほんとにあきれたよ」
 例の友人が久しぶりに大ふんがいのていでやって来た。そろそろ来るだろうと予期していたから、こっちは、それほど驚かない。お察しの通り、西ドイツのプロで活躍している奥寺康彦選手を、ワールドカップ予選の日本代表チームに加えないことになったので、わが親愛なる正義の味方は怒っているわけである。
 そこでぼくは、森孝慈監督の弁護を試みた。
 「森チンが奥寺を使わない決断をした事情は、分かるような気がする」
 「おれには、さっぱり分からんな。奥寺を入れたら日本代表チームのチームワークがこわれるというんだろ。ずいぶん、ケツの穴の小さい話じゃないか」
 「それは森監督の責任じゃなくて日本のサッカー全体の問題なんだ」
 「どうして?」
 「たとえばブラジルでは、ジーコとかファルカンとか、代表チームのスーパースターがたくさんイタリアなんかに行っている」
 「そうだ」
 「そういうスーパースターを呼び戻して、いきなり代表チームに入れて試合をしても、なんの問題もなく力を発揮できる」
 「同じように奥寺を呼び戻して力を発揮させればいいんだ」
 「ところが日本のチームでは、それができない。ま、奥寺が来て日本チームにとけこむには、1カ月かかるだろうな」
 「奥寺じゃ、ジーコのようにはいかないというんだな」
 「そうじゃない。これは奥寺のせいじゃなくて、日本にいる選手の戦術能力が低いためなんだ」
 「つまり森監督の責任だ」
 「分かってないねえ。ここで戦術というのは選手の個人の能力のことなんだ。奥寺がいきなり加わったとき、奥寺の力を100パーセント発揮させるために、試合中にどう動けばよいか、どうプレーしたらよいかを、選手一人ひとりが自分の力で判断する力が乏しいということなんだ」
 「日本の代表選手は、そんなにヘボかね」
 「みんながみんなというわけじゃないが、個人の技術能力が上がってきている割に、個人の戦術能力は停滞している」
 「それじゃ、試合はできめえ」
 「だから森監督が苦労している。個人の戦術能力の低さをカバーするために、代表選手たちを集めて、できるだけ長い間、いっしょに練習させてチームプレーをまとめようとするわけだ」
 「ふーん」
 「ところがワールドカップ予選の試合のころには、西ドイツのリーグが始まっている。向こうのプロ選手である奥寺を呼び戻して長い間、いっしょに練習させることは不可能だ。できてもせいぜい1週間だ」
 だから森監督は、奥寺を断念したんだろうと、ぼくは思う。 
 この説明でも、友人は納得できない顔つきだったし、ぼく自身「それでも奥寺を使うべきだった」と思うのだが、その理由を説明すると、また長くなるので、今回は森チン弁護にとどめておくことにしよう。

やめるのは簡単だが…
読売クラブはアジア・クラブ・カップになぜ出られないか

 ここに書く話は、日本の新聞にはほとんど取り上げられなかったので、いささかくどくなるが、始めから順を追って説明したい。
 ヨーロッパには、ヨーロッパ・クラブ・チャンピオンズ・カップがある。各国のリーグチャンピオンが、ヨーロッパのナンバーワンを争うトーナメントである。
 同じように南米には、リベルタドーレス杯があって、南米の単独クラブのナンバーワンを決める。
 それぞれの優勝チームが、12月に東京で行われるトヨタカップでクラブチームの世界一を争うから、ご存知だと思う。
 ところでアジアの単独チームのタイトルはないのか。
 実は、アジア・クラブ・チャンピオンズ・カップがあって、かつて日本からも一度だけ、東洋工業が出場したことがある。
 しかし、アジアは広過ぎて、まとまりにくいという事情もあって、なかなかうまくはいかなかった。
 昨年12月にシンガポールでアジア・サッカー連盟の会議が開かれたとき、この大会をちゃんとやろうじゃないか、ということになって組み合わせも決められた。1次予選では日本リーグのチャンピオンは、韓国およびマカオのリーグチャンピオンと、8月末までにリーグ戦を行うことに決められた。
 その時点で、日本はすでに、読売クラブのリーグ優勝が決定済みだった。したがって読売クラブは、この復活したアジア・チャンピオンズ・カップに出場する権利があった。
 ところがである。
 読売クラブがこのことを知らされたのは、翌年の3月。しかも読売クラブの方から問い合わせてのことだったという。これは日本サッカー協会ないしアジア・サッカー連盟の怠慢である。
 読売クラブの方は、もちろん出場するつもりだった。「世界をめざす読売クラブ」だから、まずアジアをめざすのは当然である。
 韓国、マカオのチームとの1次リーグは8月末までにやることに決まっていた。
 ぼくの考えでは、この3チームの試合は、ホームアンドアウェーの総当たりのリーグでやるのが原則であって、日程などについては、まず出場する三つのクラブチームがそれぞれ案を出し、まず三者で話し合うべきだった。
 まとまらなかった場合は、アジア・サッカー連盟の担当理事(この場合は日本の村田忠男氏)に調整してもらうのが筋である。しかし実際には、読売クラブの事務当局は、はじめから村田氏にげたを預けて取りまとめを委ね、結局、うまくいかなかった。
 これにはまた、もう一つ問題があった。
 1次リーグの次は各グループの勝者を集めて決勝大会を9月に開くことになっていた。会場国は未定だった。
 9月には、日本リーグが始まる。したがって読売クラブが、アジア・クラブ・チャンピオンズ・カップで勝ち進むと、試合日程がぶつかることになる。
 これは、日本リーグの日程を変更するか、アジア・サッカー連盟に、決勝大会の日取りを変えてもらうしか、方法はなかった。
 結局、どちらもうまくいかなくて日本サッカー協会と日本リーグは、読売クラブに対して、断念させることにした。
 何かをやるのは、なかなかむずかしい。何かをやらないのは、やさしいことだ。
 日本のサッカー関係者は、やすきについたわけである。

グーテンドルフの怒り
単独クラブの活動の権利を守らなければ良くならない
 
 読売サッカークラブが、アジア・チャンピオンズ・カップ出場を断念した、いや、断念させられたことについてルディ・グーテンドルフ監督はかなり怒っていた。
 「われわれは権利を奪われた。弁護士と相談して訴えを起こしたい」とまで言っていた。ヨーロッパのサッカーの常識からみれば、怒るのは当然だろう。グーテンドルフが噴慨する理由は大まかに分けて二つある。
 一つは、選手と監督(自分)のチャンスが奪われたことである。
 「われわれは、自分たちの力で出場権を勝ち取ったのに、その権利を奪われ、アジア・チャンピオンになるチャンスを失った」
 かりに西ドイツ・サッカー協会がバイエルン・ミュンヘンに対して「ヨーロッパカップに出るな」といったらどうだろう。
 ヨーロッパカップは(決勝以外は)ホームアンドアウェーで行われ、地元で行う試合の収益のほとんどは、ホームチームのものになる。
 バイエルン・ミュンヘン・クラブは、ヨーロッパカップに出させてもらえないと、名声を得るチャンスと同時に、何億円もの収入を失うことになる。これは監督や選手にとっても同じである。
 「そんな恐ろしいことは、ドイツでは誰も言い出せないよ」と、ルディは言っていた。
 読売クラブが、出場を断念させられた理由が、過密日程だということも、納得のいかないことだった。
 日本リーグは1部12チームで1シーズン22試合になる。西ドイツのブンデスリーガは18チームで34試合である。イングランドは22チームで42試合だ。国内日程からいえば、日本の方が、はるかに楽なはずである。
 しかも、アジア・クラブ・カップをやることが決まったのは、昨年12月である。その時点では、日本リーグの日程はまだ確定していない。その気になれば、日程の都合はついたはずである。
 ついでに言えば、日本よりずっと日程過密なヨーロッパでは、ご存知のように国内リーグは週末に、国際試合は水曜日にやる。
 ところで、動かせないはずの日本リーグの日程は、ワールドカップ予選で日本代表が勝ち進んだために、大幅に変えなければならない羽目になっている。これもグーテンドルフにとって理解しかねることだろう。
 ぼくの考えでは、結局のところ、一つ一つのチーム(クラブ)の活動の権利が、日本のスポーツ界では、ほとんど認識されていないところに根本原因がある。
 一つひとつのものを良くしなげれば全体は良くならないのだが、全体のために一つひとつを犠牲にして元も子もなくしているのが、いまのやり方である。


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