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サッカーマガジン 1975年11月25日号
時評 サッカージャーナル

五輪予選の中止と中国問題

“諸般の事情”の真相
 モントリオール・オリンピック予選の10月東京開催中止の裏にはイスラエル・チームに対する警備の問題だけでなく、台湾の参加にからむ中国との関係があった。9月18日に日本サッカー協会が中止を発表したとき、「諸般の事情」といっていたのが台湾問題だったことは、いまではもう明らかなように思われる。
 というのは、ちょうどあのころ北京を訪問していた日本オリンピック委員会と日本体育協会の代表団に対して、中国側が強い調子の申し入れをしていて、それが、その後、公表されたからである。
 日本体育協会の飯沢専務理事によれば、中華全国体育総会の宋中秘書長は、次のような申し入れをしできたという。
 @台湾のスポーツ・チームを日本に招いて競技会をしないこと
 A日本のスポーツ・チームが、台湾で開かれる競技会に参加しないこと
 B他の地域で開かれるものであっても、台湾の参加する競技会には、なるべく参加しないこと
 以上の3項目である。
 これだけを見ると、中国が一方的に日本側に注文をつけているように見えるが、実は、これには3年前からのいきさつがある。
 日本オリンピック委員会は、1947年11月22日に、日本体育協会は同じ年の12月20日に、それぞれ次のような決議をした。
 「中華人民共和国の中華全国体育総会を、中国に、おけるスポーツ界を代表する唯一の統括団体と認める」
 文章は簡潔だけれども、その裏には深い意味があった。
 これは、北京に本部を置く組織と、台北に本部を置く組織の二つのうち、どちらかを選ぶという問題で、北京のほうを選ぶことを表明した決議であり、中国側は、この決議を前提として日中のスポーツ交流を公式のルートにのせることを承知したものである。
 ひらたくいえば、こうである。
 中国側は「台湾とつき合うのなら、われわれは日本とはつき合えません」といっていた。これに対して日本側は「台湾とはつき合わずに、あなた方とつき合いましょう」と約束したわけである。
 日本サッカー協会も、その翌年の48年4月に、野津会長らが北京で会談紀要に調印し、「台湾とは交流しない」ことを約束してきている。
 当時、日本側が、こういう約束をした理由やその当否を議論しはじめたら、このページにはとても書き切れない。だから、ここには簡単に経過を記しておくだけにするが、ともあれ、今回の宋中秘書長の申し入れは「この前の約束を守って下さいよ」と、具体的な形で念を押してきたもので、中国側から一方的に注文をつけてきたとばかりはいえない過去のいきさつがあるわけだ。
 もう一つ、つけ加えると、中国側は、この3項目を一般論として持ち出してきたのではない。新聞に詳しくは出なかったけれど、二つの具体的な事例について、日本側の約束違反を指摘してきている。その事例の一つが、実はサッカーのオリンピック予選東京開催だったわけである。
 10月初旬のオリンピック予選には。台湾が参加することになっていたが、これは3項目の申し入れの第1項に当てはまる。

単純な強行論は論外
 また、これも新聞には載らなかった話だが、8月中旬に藤枝東高サッカー・チームが中国を訪問したとき、日本サッカー協会の藤田常務理事が、いっしょに北京へ行っている。オリンピック予選について了解を求めるつもりだったのだが、中国側の態度はきわめて厳しかったらしい。先方は会うといきなり「あなた方は、約束を破りましたね」といったという。
 日本サッカー協会のほうは「台湾と交流しないと約束はしたけれども、オリンピック予選など、FIFA(国際サッカー連盟)の主催する競技会の場合は別だ」と解釈していた。しかし、この解釈は中国側には通用しなかったようだ。 
 「オリンピックや世界選手権で台湾にぶつかったらどうするか」という問題は、3年前に日中のスポーツ団体の接触がはじまったときから、すでに論議されていたことだった。
 この点について中国側のある役員か、次のように述べたことがある。
 「われわれの原則(中国は一つであること)を認めてくれた以上は、友人として、立場を理解できる」
 これを日本側では“暗黙の了解”と受け取っていたようだ。
 しかし、これは外国で開かれるオリンピックや世界選手権の場合であって。台湾の出場する競技会を自ら積極的に誘致する場合にまで拡大して解釈するのは、中国との約束の精神からみて、かなり無理がある。
 詳細には書き尽くせなかったけれど、以上のような経過と背景は、当時の新聞記事や公表されている諸文書を調べてみればわかる。
  オリンピック予選の東京開催問題を理解するには、台湾問題一つをとってみても、このように複雑で微妙な事情を考える必要がある。
 以上は本誌の10月25日号に「頂上を目前にしての勇気ある退却」という表現で書いた記事への補足である。その次の号に、荒井義行記者が、いささか感情的な反論めいたものを載せていたけれども、具体的な対策を示さないで「地元が有利なんだから東京開催を強行しろ」というのでは、単純過ぎて話にならない。貴重な誌面を論争に費すつもりはないけれど、一言だけ付け加えておきたい。 


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