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(サッカーマガジン1974年9月号 牛木記者のフリーキック


若手幹部の意気地なし!

 ワールドカップが終わった日に、ミュンヘンに集まっていた日本の記者仲間の間で「こういう大会を日本で開きたいなあ」という話が出た。日本の国力、経済力からみて、ワールドカップを開催する能力は十分ある。その点では、みんなの意見が一致した。
 最大の問題は、プロをふくむサッカーの世界選手権に国をあげて協力してもらうための世論の支持である。ワールドカップは、他の競技の世界選手権を開くのとは、わけが違う。前回のメキシコでも、今回の西ドイツでも、開・閉会式には、その国の元首 (大統領) が出席している。いわば、これは国家的事業であって、国民大多数の圧倒的支持と協力がなければ成功しない。これは、ワールドカップのときに、その国に滞在した人には説明しないでも分かってもらえることだが、そうではない人には、説明してもなかなか分かってもらえない。日本中のサッカーの好きな人が一致協力して、最大限の努力をしても、世論作りに10年以上はかかるだろうと、ぼくは考えた。
 次回以降のワールドカップ開催地は、次のように決まっている。
 1978年 (第11回)  アルゼンチン
 1982年 (第12回)  スペイン
 1986年 (第13回)  コロンビア
 1990年 (第14回)  ユーゴスラビア
 以上のうち1986年のコロンビアまでは正式に決定ずみ。1990年も、ヨーロッパでやるとすればユーゴとすることに内定している。
 そのあとの1994年は、順番から言えばヨーロッパ以外の地域で開く番で、これにはアメリカが立候補している。「今世紀中にアメリカでワールドカップを開いて、この魅力あるスポーツを合衆国に定着させたい」とアメリカの代表が語っていた。
 日本もアメリカと争って今世紀中の開催を目ざすべきだ、とぼくは考えた。もっとも近い機会といえども20年先である。世論作りの時間は十分あると思った。
「だけど健さんは、2002年だといってるよ」
 と記者仲間の一人がいった。
 日本代表チームの監督として西ドイツに来ていた長沼健さんにきいたら、こういったのだという。
「日本でワールドカップをやるなら、地元の日本代表チームはどうしても優勝しなくちゃならない。いまのワールドカップのレベルの差からみて、今世紀中に追いつくのは無理。したがって21世紀の最初の2002年くらいだろう」
「なんたる弱気!」
 とぼくは思う。
 長沼健さんは、日本代表チームの監督であると同時に、協会の理事であり、技術委員長である。あらゆる意味で、日本のサッカーを育てる責任が、その双肩にかかっている。若手の役員にこう意気地がなくては ―― とぼくはいささか落胆した。


試合は定時に始めよう

 西ドイツのワールドカップを見て、気のついたことを一つ書きとめておこう。
 今回の大会会場には、どの会場にもふつうの大時計はあったが、試合時間の経過を示す時計はなかった。はじめは不便に思っていたが数試合を見てから「なるほど、試合時間を示す時計はいらないわけだ」と気がついた。
 キックオフは、午後4時または午後7時のどちらかだったが、とにかく試合開始時間になると、ぴったりに主審がキックオフの笛を吹く。したがって観客には、ふつうの大時計だけで、簡単に経過時間が分かるわけである。
 ハーフタイムは、15分とってある。そして15分後には、これまた、ぴったりに後半開始の笛を吹く。前半のキックオフが午後4時だったとすれば、前半終了が午後4時45分になる。ハーフタイムを15分とって後半の開始は午後5時ぴったり。したがって観衆は、ふつうの大時計でも試合経過時間が簡単に分かる。
 前半に何か事故があって主審がロスタイムをとったとする。前半終了は数分遅れることになるが、そのような場合にでも、後半開始の時刻はぴったりにする。ハーフタイムは少し短くなるが、競技規則では5分間とればよいことになっているのだから、さしつかえはない。
 この方式は、いろいろな点で便利である。第一に後半開始時間がはっきりしているので、後半によほどの大事故でもない限り、試合終了時刻もあらかじめほぼ確定している。ぼくたち新聞記者は、記事送稿の締切りに分秒を争う場合があるから、これはありがたい。
 第二に主審の時計と場内の時計の食い違いによる観衆の誤解を防ぐのにもかなり役立つ。ご承知のように試合の経過時間は主審の持っている時計ではかることになっているが、そのほかに場内に試合時間の経過を表示する時計が掲げられていると、ルールをよく知らない人は、場内の時計の方を見て「もうタイムアップだ」と騒ぎたてたりする。その間に得点でも入ると騒ぎはますます大きくなる。東京の国立競技場では、そういう誤解を防ぐために、場内の時計を終了10秒前に止めているが、西ドイツ方式では、そんなわずらわしいことをする必要はない。場内の大時計は、単に標準時を示しているに過ぎないからである。
 日本のサッカー試合では、入場券やプログラムに印刷してある開始時間が、しばしば不正確である。入場式や記念撮影をながながとやったり、テレビの都合で10分くらい平気でずらせたりする。入場券やプログラムには、キックオフの時間を表示して、正確にそれを守る習慣をつけて欲しいものである。


小さな町の国際試合

 ワールドカップの期間中に、日本のサッカー・チームが二つ、西ドイツに滞在していた。一つは長沼監督の率いる日本代表チームであり、もう一つは日本リーグ2部の読売クラブである。両チームとも、ワールドカップの試合見学のために西ドイツに滞在し、かたわら地元のクラブ・チームと親善試合をした。
 そのうちのいくつかを、現地で見る機会を得たが、なかなか興味深かった。試合内容ではなくて、地元チームの歓迎ぶりというか、試合の運営ぶりが面白かった。
 日本代表チームは、西ドイツ西部の大都市ケルンから国鉄のローカル線で40分くらいのところにあるジークブルクという町で第一戦をした。人口2万くらいの小さな町で、全国地図に辛うじて駅名が出ている程度。日本でいえば静岡県藤枝市で、地元の志太クラブを相手にしたといったところである。会場は対戦相手のジークブルク体育クラブのグラウンドだが、藤枝市民グラウンドほど立派ではない。
 単なる練習試合かといえば、そうではない。当日の町の新聞には「日本のナショナル・チーム来る」と大きく前景気の記事が載っていた。釜本選手の写真がないものだから、その前にすでに西ドイツで試合をしている読売クラブの岡島選手のプレー中の写真を変りに使って、すましているあたりはご愛嬌である。
 入り口では2マルクの入場料をとっていた。およそ230円である。グラウンド内の掲揚塔に、この町の旗と並んで日の丸がへんぽんと翻っていた。
 読売クラブの試合も、ふんい気は似たりよったりである。
 西ドイツとの国境に近いオランダのグルペンという町の試合についていったときのことである。
 人口4千の町で、なんと入場券を2000枚売ったという。これはまあ、日本でいえば、お祭りのときの寄付のようなつもりで、町の全家庭が買うらしい。
 もちろん、日の丸は会場にひるがえり、試合の前には両国国歌の演奏まであった。ハーフタイムには、町の楽隊が赤いモールの正装に威儀を正して行進した。ワールドカップのミニチュア版といった演出をして、その茶目っ気を町ぐるみで楽しんでいる感じだった。
 日本代表チームの場合も、読売クラブの場合も、試合のあとで必ずパーティーがある。町長さんや町の体協会長さんが出て来て、あいさつをしたりする。
 入場料収入は、試合相手を勧めたクラブのものである。パーティーの費用にあてて、ちょっと赤字が出る程度に違いない。

 

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