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ワールドカップ大作戦を展開しよう
(サッカーマガジン1970年9月号)


ワールドカップ・レベルを目ざそう

 「ワールドカップを日本でやろうということはですね。選手強化のためということなんですね。つまり……」
 「ちょっと待ってくださいよ。それは考え方が違うんじゃないですか」
 日本蹴球協会の野津会長が、ニコニコ顔でしゃべり出したとき、ぼくがいきなり待ったをかけた。こういう問題では、日本のサッカーの大先輩を相手にしても、ぼくは遠慮をしない。個人対個人の礼節にこだわっていられるような小さな問題じゃない。日本のサッカーの将来がかかっている。―― いやいや、日本の青少年教育に関する大問題だ。
 「それは違うんじゃないですか。ひと握りの日本代表チームを強くするために、ワールドカップを日本でやるなんて考え方は、通りませんよ。“選手強化のために” という言葉は、適当じゃないですよ」
 「いやいや、まあ、そうじゃないですけれども……。メキシコで長沼君と話し合ったときにですね。
 長沼君がいうには、これからの日本サッカーの目標をどこにおくか、アジア大会のレベルにおくかオリンピックのレベルにおくか、それとも遠い目標のようだけれども、ワールドカップにおくかという問題があるんですね。そのとき長沼君がいうには、これは最高のものを求めなくちゃいけない。やはりワールドカップのレベルを目ざさなくちゃあいけない。それならワールドカップを日本でやるということを考えようじゃないかと、こういうことになったんですねえ」
 「なるほど。しかしケンさん (長沼健・日本蹴球協会技術指導委員長) のいうのは、“選手強化” のためにワールドカップをやるというような、狭い量見じゃあないですよ。日本代表チーム強化の “遠い目標” としては、ワールドカップで戦い得るレベルに持っていくということが、たしかにある。だけど、それはもう、ひと握りの代表選手候補の強化だけを考えてもダメなんです。日本サッカー全体の力を、ワールドカップを引受けられるように、引きあげなくちゃいけない。あらゆる面で“ワールドカップ・レベルを目ざそう”ということだと思います」
 「そうそう。その通りですよ。いいですねえ」
 野津会長は大きくうなずいた。あんまり、あっさり納得したので拍子抜けである。


旗じるしを立てて

 1986年のワールドカップを日本でやる話が出てきたいきさつは、8月2日付けの各新聞に野津会長の談話が出たし、サッカー・マガジンのこの号にも竹腰理事長、長沼健さんと、ぼくの三人でやった座談会が出ているはずだ。
くわしいことは、そちらで読んでいただくことになる。
 ぼくとしては、夢物語が、案外早く実現への第一歩を踏み出したことに、驚いている。
 3年前、1967年の8月号に「ワールドカップを日本でやろう」という記事を書いたことがある。また1968年の1月号から3月号まで、漫画を使ってワールドカップを日本でやれるようになったら ―― というような未来物語を連載したこともある。いずれも夢物語である。
 ことしの6月、野津会長がFIFA (国際サッカー連盟) のサー・スタンレーラウス会長と話し合ったとき、ぼくの夢物語を現実のものにする第一歩が踏み出されたのだと思う。これから16年間の長い道のりを思えば、実に小さな一歩だけれども、この一歩が確実に前を向いていることを信じたい。
 ワールドカップを日本でやろうというのは、卓球やレスリングの世界選手権を引受けるのとは、まったく違う。本誌の読者には説明するまでもないだろうけれど、オリンピックや万国博を引受けるのと同じくらいの ―― 考えようによっては、それ以上の大きな事業である。国内では、まずサッカーに関係のある人たちが全部協力し、国民全部の支持を受けるようにしなければならない。外国に対しては、ワールドカップを日本で開くことの意義を強調して、PRしなければならない。
 これから16年間にわたる「ワールドカップ・ニッポン大作戦」を展開して、1986年のワールドカップを日本で開催し、成功させようというのが、夢物語から一歩を踏み出した日本のサッカーに対するぼくの最初の提案である。
 大作戦には旗じるしが必要だ。
 まず第一の旗じるしは「ワールドカップ・レベルを目ざそう」ということだけれども、これは “選手強化” のことだけをいっているのではない。愛好者の数をふやし少年たちにサッカーの楽しさを広め、コーチ組織を活用し、そしてまずなによりも最初に、その推進力になる協会に “若い力” を注ぎ込んで、組織を動かして仕事のできるものにし、サッカー界の社会に対する発言する力を強くしなければならない。


サッカーを世界のものに

 1986年大会に日本が立候補することは、まだ決まったわけではない。これから数年かけて検討するというのだが、もちろん、大事業を引受けようというのだから、大いに慎重に検討してもらいたい。
 ただし、「前向きに」である。何もしないで時間のたつのを待つことは、「前向き」でもないし「検討した」ともいえない。協会の中に消極論ばかりとなえる人がいるから、クギをさしておく。
 立候補したとしても、日本が開催地に選ばれるとは限らない。
 1986年大会には、すでにコロンビアが立候補を申し出ているし、またアメリカは、なるべく近い将来(つまり1986年)に開催したいといっている。ライバルがすでに二つあり、日本は立ち遅れているといっていい。
 サッカーが盛んな点では、コロンビアは日本より上だし、人口からみても経済力からみても、アメリカは日本より大国である。日本の条件は、決していいとは、いえないのである。
 しかし、FIFAのサー・スタンレー・ラウス会長は、次のようにいっている。
 「ワールドカップは、ヨーロッパとラテン・アメリカだけのものであってはならない。サッカーは世界のスポーツであり、地球の半分 (へミスフェア) のものではないからだ」
 ということは、国際的には、日本でワールドカップをやる大義名分は、「サッカーを本当に世界のものにする」ことである。
 こういう大きな旗をかかげて、まず、なによりもアジア・アフリカの、ついでヨーロッパの支持を得ることが、できると思う。

  日本サッカーを 世界のレベルに引上げ、
            サッカーを世界のものにする

 この二つの旗じるしをかかげて、まず「ワールドカップ大作戦」をスタートさせたいと思う。

 

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