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急逝された日本体育協会事務局長、塩沢幹氏に哀悼の意を表します
残された国立サッカー場と社会体育の夢
(サッカーマガジン1969年5月号)


塩沢さんが手をつけたばかリだった社会体育振興の夢は、残されたわれわれで実現しよう。そのためにサッカー界はチームワークをとらなければならない


守った公平無私の立場

 今月のテーマにふれる前に、3月25日に急逝された日本体育協会の事務局長、塩沢幹(みき)氏に謹しんで哀悼の意を表したい。
 塩沢さんは日本蹴球 (サッカー) 協会の常務理事でもあった。長野県飯田中学では、陸上競技の走り高とびの選手だったけれども、東京高師 (いまの東京教育大) に入学したとき、寄宿舎でサッカー部の部屋に割り当てられたので、そのまま、サッカーの選手になってしまったのだという話である。
 体協の事務局長としては、もちろんサッカーのためだけに働いてもらうわけには、いかなかった。体協には36のスポーツ団体がはいっているから、事務局長は公平無私でなければならない。そういう点で塩沢さんは、間違いのない人だった。ぼくが所属している体協の記者クラブで、塩沢さんがサッカー出身だということを、知らない人が多かったほどである。
 けれども、個人としては、本当に心からサッカーを愛していた。一昨年の10月、オリンピックの前の年にメキシコヘ行ったとき、「これだけは見のがせないから ―― 」といって、まっさきにアステカ・スタジアムヘ、メキシコ・リーグの試合を見に行った。ご承知のように、アステカ・スタジアムは、世界一豪華なサッカー専用競技場である。
 昨年の本番のオリンピックのときも、メキシコヘ行って、日本のサッカーが銅メダルに向かって勝ち進むにつれて、夢中になって喜んでいたそうだ。
 塩沢さんは、体協の役員改選のごたごたのさいちゅうに、心労が重なって倒れた。体協役員改選の舞台裏は、あまりにも、なまなましいので、この純粋なサッカー・マンのための雑誌に書く気にはとてもなれない。しかし、塩沢さんの心労のもとを作ったスポーツ界のみにくい派閥に対して、ぼくはツバをはきかけても、なお足りないほどの、いきどおりを感じる。
 人の値打ちは棺を覆ってのちに定まるというから、塩沢さんのスポーツとサッカーに対する功績は日を追って、ますます高く評価されるようになるに違いない。だから、いきどおりのあまり、かえって故人の遺徳を傷つけないようにしたいと思うだけである。


夢の実現に応援を

 塩沢さんにとって心残りだろうと思われるのは、国立サッカー場の実現を見とどけなかったことと「社会体育の振興」という大構想の基礎作りに手をつけかけたばかりだったことである。
 国立サッカー場については赤羽の近くに1万5干人収容のものを建設する構想が、九分九厘まで実現にこぎつけていて、国有財産審議会の許可を待つばかりになっている。
 しかし世の中にはハゲタカみたいな連中がいるから、サッカー場建設の熱心な推進者であった塩沢さんの死につけこんで、どんなことを考え出すかわからない。
 サッカー場を作れということは国民の声といっていい。サッカー・マガジンの読者のみなさんも、声を大きくして、最後まで塩沢さんの夢の実現を応援してほしい。
 国立サッカー場ができても、市民のためのサッカー場は数え切れないほど必要なのだから、「サッカー場建設の運動」は、まだまだ続けなければならないことも、忘れないでほしい。そしてこのことは「社会体育の振興」という、塩沢さんの残したもうひとつの夢にもつながるのである。


対外試合を野放しにするのではない

「社会体育の振興」について、読者のみなさんと意見を交換したいということこそ、ほくが “今月のテーマ” として考えていたことだった。これは小・中学生や高校生のスポーツ対外試合を制限している文部省の次官通達の改正と関係がある。
 こまかいことは別の機会にゆずることにするが、大まかな方向は「小・中学生のスポーツ活動の大部分を、学校教育の範囲から切り離して社会体育の分野にまかせよう」ということである。分かりやすくいえば、いままで小・中学校のスポーツは、ほとんど全部、校長先生が責任をもっていたが、これからは、サッカー・スクールやスポーツ少年団や少年サッカー・クラブで責任を持ってもらうようにしようということである。
 誤解のないようにしておきたいが、一部の新聞などに伝えられているように、将来、小・中学生の対外試合が野放しになる、なんてことはありそうもない。心身ともに発育途上にある少年たちを、社会の荒波から守ってやることは、社会体育の場合だって必要だ。
 つまり、小・中学生のスポーツ活動を、学校以外の民間で引き受けるなら、民間の方に少年たちのスポーツを保護育成するだけの、受け入れ態勢を作らなければならないのだ。
 サッカーについていえば、
 第一に少年たちが試合や練習のできる場所を作ってやること。サッカー場作りと校庭開放をおし進め、これを間違いのないように管理できる組織を作ること。
 第二にサッカー・スクール、少年団、サッカー・クラブを運営したり、指導したりする人たちを集め、横の連絡をとり、おたがいに話しあって障害を解決し、行き過ぎを防ぐようにすること。そのために、各地域に少年サッカーまたはクラブ育成の協議会が生まれ、さらに全国的に連絡がとれるようにすること。
 第三に、少年たちのお父さんやお母さんが保護者として責任を持ち、PTAのような形で少年サッカーを援助すること、
 この三つの面が考えられる。
 そして少年たちの集まりとしてのスポーツ少年団の組織に、おとなの人を集めるためには各地のサッカー友の会を、もっと活用すべきであると思う。
 日本代表対ベラクルスの第2戦が行なわれた3月23日に、国立競技場の貴賓室で、サッカー友の会の全国協議会が開かれ、各地から集まった約60人の方とともに、以上のようなことを話し合った。体協の塩沢事務局長の考えておられる大構想を、サッカーの立場から推進するつもりだった。
 そのときには、2日後に塩沢さんが亡くなられるとは、思いもしなかった。いまとなっては、塩沢さんの遺志を継ぐことは、ぼくたちの大きな責務だと思う。そのために、スポーツ界は、少なくともサッカー界は、立派なチームワークをとらなければならない。

 

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