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(サッカーマガジン 1969年2月号) 【テキスト版】

1968年サッカーハイライト


1 初の元日サッカー (1月1日)
 元日に東京の国立競技場でサッカーがあった。日本リーグ1位の東洋工業と学生1位の関大との招待試合。グラウンドは泥んこで正月早々わびしかった。 (東洋1−0関大)
2 高校選手権決勝は3年連続の引分け (1月7日)
 全国高校大会の決勝戦は、京都洛北高と広島山陽高で争われ、再延長2時間の大激戦のすえ引分け。両校のキャプテンが泣きながらふたりで1本の優勝旗を受けた。2校優勝は3年連続4度目。

3 東洋工業が2度目の天皇杯 (1月15日)
 全日本選手権で東洋工業が2度目の天皇杯を獲得。古河電工、八幡製鉄などがつぎつぎに出場を辞退して大会の内容はさびしかったけれど、負傷を押して活躍した松本選手は立派。

4 ドイツ・アマ・チーム来日 (1月17日)
 ドイツのアマチュア代表チームが来日して国立競技場で1試合。アジアを巡回指導中のクラマー・コーチを特に招いて見てもらった。「日本は負けたが、成長している」と珍しく甘い採点。 (ドイツ1−0日本)

5 カミカゼ釜本 ドイツへ留学 (1月〜3月)
 ヤンマー・ディーゼルの釜本邦茂選手が会社から派遣されてドイツヘ留学。ザールブリュッケンのチームで活躍し、ヨーロッパの新聞や雑誌にも「カミカゼ釜本」の評判が特集された。
6 日本代表 メキシコ偵察へ (3月〜4月)
 日本代表チームがメキシコ−オーストラリアに遠征。目的は秋のオリンピックに備えて高度2240bのメキシコを偵察すること。八重樫主将は「空気がうすくて金魚のように口をパクパクだ」 (日本2勝2敗1引分け)
7 杉山、釜本選手が結婚 (4月9日、11月6日)
 メキシコ−オーストラリア遠征から帰った直後に杉山隆一選手が結婚。“黄金の足” らしい電撃ぶり。釜本邦茂選手はオリンピックが終って間もなく4年間の恋を実らせて豪華なウェデイング・マーチ。
8 専用サッカー場建設運動はじまる (4月21日)
 東京サッカー友の会で、「東京にサッカー競技場を作ってほしい」と署名運動をはじめた。三菱−東洋の試合会場では杉山選手らも協力。この日駒沢競技場は2万1千人で札止め、「新競技場は4万人のスタンドがいるぞ」と声あり。
9 アジア・ユースでは惨敗 (5月)
 ソウルで行なわれたアジア・ユース大会で日本の高校選抜チームは予選リーグで失格したが、「行くときと帰るときでは選手の顔つきの締まりが違った」と平木監督の話。国際試合の経験は貴重だ。 (日本1引分け2敗)
10 名門アーセナル来日 (5月)
 イギリスのプロ・チーム “アーセナル” が来日、東京と福岡で3試合をした。日本は3試含で1点しかとれなかったが “アーセナル・ゴール” という新語が紹介され、メキシコヘ貴重な経験。第3戦は国立競技場を約6万8千人の観衆が埋めた。オリンピックを除けばスポーツ観衆の新記録 (アーセナル3−1、1−0、4−O日本)
11 2チームを海外に派遣 (7月〜8月)
 夏には日本代表Aチームをソ連・ヨーロッパに、Bチームをマレーシアのムルデカ大会に派遣した。2チーム同時に海外に行けるのは世界のスポーツ、サッカーなればこそ。 (日本A 1勝8敗。日本B 4勝3敗 7位)
12 東西対抗で西軍が6連勝 (9月3日、6日)
 日本サッカー・リーグの東西対抗は東京と大阪で開かれ、西軍が無敗の6連勝。1勝1敗のときは二つに割れることになっているカップは、ことしも割れなかった。 (西軍6−O、3−2東軍)

13 初のサッカー展覧会 (9月)
 日本でははじめての本格的なサッカー展覧会「世界と日本のサッカー展」が東京のデパートで開かれた。日本代表チームの選手たちも見に来て「おい、ガマッチョのかっこいい写真があるぞ」と大喜び。

14 おお!感激のメキシコ・オリンピック (10月)
 2240b、メキシコの高地を克服して、日本のサッカーはアジアではじめての銅メダルを獲得。それに、これもはじめて設けられたフェアプレー・カップを」受賞。釜本選手は得点王。涙がでたなあ。 (日本4勝1引分け1敗)

15 日本リーグに観衆4万 (11月17日)
 メキシコ・オリンピックをはさんで4ヵ月半の休みののち、日本リーグ後期が再開。第9節、東京の国立競技場の三菱重工−ヤンマーの試合は釜本−杉山のメダルの足に観衆4万の日本リーグ新記録。
16 東洋工業が4年連続優勝 (12月8日)
 日本リーグ優勝は発足以来、4年連続で広島の東洋工業。あと2試合を残してはやばやと決定した。東洋工業は1969年1月のアジア・チャンピオンズ・カップに出場、東洋一をめざす。
17 大学選手権は東教大 (12月18日)
 全国大学選手権の決勝は関東大学リーグ優勝校の東教大と、関西学生リーグ優勝校の関大が対決。東教大が、本場ドイツ仕込みの成田十次郎新監督による好指導で、みごとに “学生日本一” となった。助教授監督の成田氏のメガネの奥にもキラリと涙。
18 日本リーグ得点王、アシスト王に黄金コンビ (12月22日)
 日本リーグの得点王は釜本邦茂選手 (ヤンマー) と宮本輝紀選手 (八幡製鉄) が最後までせり合ったが、釜本選手が14点でトップになった。アシスト王は杉山選手 (三菱重工) でKSコンビときまった。
19 日本リーグの観衆42万人を突破 (4月12月)
 日本リーグ観客数は、つぎつぎに新記録を作って、うなぎのぼリ。ついに1シーズンの総数42万人となった。これをバスで運べば8400台分だ。
20 ヤンマー、天皇杯で優勝 (1969年1月1日)
 1968年度の最後は69年正月に行なわれた天皇杯決勝。この1年、躍進めざましいヤンマーが三菱重工を1−0で破って初優勝をとげた。日本リーグの王者、東洋工業は準々決勝で大学4位の早大に2−0で敗れた。

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