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「メキシコ五輪は精鋭主義で」とJOCはいうが……
バンコクの死闘を思い出せ!
(サッカーマガジン 1968年5月号)


 日本蹴球協会の竹腰理事長にインタビューした先月号の記事の中で、ぼくは「メキシコ・オリンピックなんて、どうでもいいと思っている」と書いた。
 しかし、ここで前言を訂正させてもらわなければならない。メキシコでは、日本のサッカーは、血ヘドを吐いても、アバラ骨をばらばらされても、勝ってもらいたい。メキシコ・オリンピックは日本のスポーツの将来にとって、非常に重要だ――。
 ぼくの考えを、このように変えさせたできごとが、この1ヵ月の間にあった。話は少しややこしいが、まあ、聞いてもらいたい。


メキシコにサッカーを派遣するな?!

 サッカー協会や陸上競技連盟、水泳連盟などが集まって「日本体育協会」という財団法人を作っている。その中に「日本オリンピック委員会 (JOC) 」があって、メキシコ・オリンピックに派遺する日本選手団は、この委員会で決めることになっている。
 3月30日のこの委員会の総会で、各種目の派遣数が論議されたが、ぼくが、考えを変えたのは、委員会の中で次のような意見が出たことをきいて、大いに、ふんがいしたからである。
 ぼくをふんがいさせた意見というのはこうだ。
(1)日本のサッカーをメキシコ・オリンピックに派遺しなくてもいい。
(2)サッカー・チームの選手数は19人だが、日本チームは16人でいい。
 ―― そんなばかな話があるか、と思われるだろうが、これにはわけがある。
 10月のメキシコ大会に日本選手団を派遣する予算のわくは1億5千万円で、これは選手団230人分である。しかし、「メキシコは精鋭主義で」と、できれば選手団を200人前後にしぼろう、ということになった。
 人数をしぼることになれば、当然、メキシコには行けなくなる競技種目が出てくる。その筆頭候補にあげられたある競技団体の会長さんは
「サッカーもわれわれのチームも立ち場は同じだ。こっちがメキシコ行きから、はずされるのなら、サッカーもやるな」
 と、“刺し違え論” を主張したというのである。
 この話は、すでに新聞でも報道されている。


サッカーの派遣は当然

 この “刺し違え論” は、いささか発想法が狂ってるんじゃないかと思う。
 自分たちが落とされそうだから、他入の足を引っぱろうという考え方は、およそ、スポーツマンらしくないのではないか。
 もうひとつ、このような、ややこしい発言が生まれた背景には、
「いわゆる “サッカー・ブーム” に対する反感がある」という説もあった。
 日本オリンピック委員会(JOC)の会議で、竹田恒徳委員長が、こういったという。
「サッカーのように、最近目ざましく伸びてブームを起しているような競技は、優先的に考慮しよう」
 これが、ひいきの引き倒し、という結果になった。
「ブームだから派遺するというのは、おかしいじゃないか」
 ほかのスポーツの代表の人たちが、いっせいに反論したのは、それぞれの立ち場からみれば、無理のないところだと思われる。
 しかし、ぼくの考えでは、サッカーを派遣することには、議論の余地がないと思う。昨年10月に、メキシコ予選を東京で開くとき、サッカー協会はJOCで、すでに了承を得ているのだ。あれだけの大会を開き、日本をふくめてアジアの各国が、あれほど、すばらしい試合をし、その結果生まれた栄光の勝利者が、メキシコ大会参加の権利を放棄したら、ほかの参加国に対して申しわけが立たないではないか。
 ついでながら、ぼく個人の考えでは、サッカーでも、水球でも、ホッケーでも、出場を与えられたチーム・ゲームは事惰の許す限り送るべきである。
 なぜなら、オリンピックの本大会に参加できる国は、16に限られているのだ。個人競技とは事情が違う。
 読者のみなさんも、試合の約束をしてグラウンドに行ってみたら、相手チームが棄権でこなかったという経験があるかも知れない。これはおもしろくないものである。国際大会で相手にそんな思いをさせるのは聞違っている。


19人は絶対必要だ

 ややこしい話で申しわけないが、もう少しきいてほしい。
 オリンピックでは、サッカーの選手は19人まで登録できる。ぼくは参加させる以上は、心おきなく戦い得る戦力を送るべきだと思う。オール・オア・ナッシングだ。
 2年前の、バンコクのアジア大会を思い出していただきたい。あのときは、定員から2人へらされて17人しか連れて行けなかった。結果的には、その減らされた2人は東洋工業の桑田選手と古河電工の鎌田選手という形になった。
 バンコクのもようは、ご存知だと思う。40度を越す暑さ、連戦の過酷な日程。まず八重樫が倒れ準決勝に出たときは、宮本輝が発熱し、小城も限界を越えている。松本、片山、釜本も故障 ――。
「桑田がいたらな。鎌田がいたらな ――」
 と、コーチも選手も、取材した日本の新聞の特派員も、くやしがったという。
 あのにがい思いを、もう一度くり返すべきではない。ぼくが、メキシコヘ行く日本代表チームに死ぬ気で戦ってほしいというのはここだ。
 以上に述べたような間違った考えの人たちに分かってもらうためには、サッカーというスポーツの激しさ、苦しさ、そして一つの勝ち星の価値を、バンコクの死闘をメキシコで再現することによって、知らせるほかはないと思う。


アジア大会の “背番号18”

 最後に、いままで公表をひかえていたエピソードを、この機会に書かせてもらおう。
 バンコクのアジア大会に派遣されたサッカー選手は17人だが、プログラムには、日本チームの18番が、ちゃんと印刷されている。
 この “選手” の名前を、かりに “ミスター18” としておこう。読者のみなさんは、多分きいたことのない名前である。なぜなら、これは日本選手団の世話係をした、ある補助役員の名前なのだから。
 オリンピックやアジア大会では、役員の数に制限がある。ところが、選手か役員でなければ選手村に泊まれない。そこで、この補助役員の “ミスター18” を、サッカーの選手として登録して選手村に入れたというわけである。
 選手たちが、メンバー不足に血を吐く思いをしているとき、桑田と鎌田の名前が印刷されるべきところに、戦力にならない役員の名前がはいって、アジア大会の歴史に残っていいものだろうか。
 ただし、これは体協の責任でしたことであって、この “ミスター18” 本人の責任でないことを、つけ加えておかなければならない。
 幻の選手 “ミスター18” は、いまでもこういうのである。
「あのときくらい、くやしいことはなかった。できることなら、ぼくが背番号をつけて、疲れはてた選手の代りに出てやりたかった」
 “ミスター18” が、熱心なサッカー・ファンであったことが、せめてもの救いだったとぼくは思う。

 

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