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サッカーマガジン 2002年10月16日号
ビバ!サッカー

ワールドカップの総括K
最優秀会場都市はどこか?

 2002年ワールドカップは、日本と韓国の20都市で試合をした。そのなかで、もっともよかったのはどこだっただろうか? もっとも楽しい雰囲気だったのはどこだっただろうか? 韓国の方は、調査不足なので、とりあえず日本の10会場の比較評価を試みた。

鹿島がナンバーワン!
 結論を先に申し上げると、ワールドカップの会場になった日本の10都市のうちで最優秀は鹿島である。これは、いかなる権威にも屈しないわが「ビバ!サッカー」の独断と偏見による評価である。
 スタジアムが立派だったかどうかではない。選手たちが支障なくプレーできるように規律正しく運営されたかどうかでもない。
 会場地の仕事は、外国から来たサポーターも含めて、人びとがワールドカップを存分に楽しむことができるようにすることである。同時に地元の人びとも十分に楽しんだかどうか、である。それが評価の基準である。
 ところで、再三ご紹介申し上げているように、このページの読者が集まって東京の読売・日本テレビ文化センター北千住で毎月2回「ビバ!サッカー講座」を開いている。その仲間でサッカーの本を書いて出版している。そこで、ワールドカップ2002をテーマにした本を作るにあたって「会場都市のランキング評価をしよう」という案が出た。しかしすべての会場をじっくり見て公正な比較をするのは難しい。ということで、これは企画倒れになった。
 しかし……である。
 わが仲間たちは、それぞれ、いろいろな会場で試合を見てきている。その体験談を集めてみると、おのずから、各会場都市の様子が浮かび上がってくる。それに、ばく自身の体験を加えて、ほんとうに独断と偏見にもとづいて評価を試みた。その結論が「鹿島がナンバーワン」ということである。

屋台での大交流
 なぜ、鹿島がナンバーワンか? 理由は単純明快。鹿島へ試合を見にいった仲間たちの報告によれば、鹿島スタジアムの周辺には、いろいろな屋台が出ていて、試合の前後に買い物や飲食ができたということだからである。
 サッカーを見る楽しみの重要な部分は、試合前にサッカーを語り、試合後にサッカーを語ることである。会場周辺では試合前には試合前の雰囲気があり、試合後には試合後の雰囲気がある。それを満喫できてこそワールドカップである。
 そのためには、スタジアムの周辺に、人びとが集い、語らう場所がなくてはならない。
 鹿島は、その場所を用意した。それが屋台だった。
 ほかの会場では、どうだったか。
 他の会場都市では、屋台を認めるどころか、ふつうの商店や飲食店に対して、試合の日には店を閉めるように、その筋が「行政指導」をしたのである。
 たとえば、これは信頼できる筋から聞いた話だが、新潟では駅の北側からスタジアムまで歩いて40分ほどの道の両側の商店や飲食店に、試合の日には店を閉めるように勧めた。その結果、試合の日に沿道で営業した飲食店は3軒だけだった。
 ある焼鳥屋さんは、最初は閉店して様子を見たが、その次の機会には思い切って開業してみた。もちろん大繁盛だった。焼き鳥とビールで日本と外国のサポーターがおおいに交流した。この話は地元の新潟日報に話題として掲載されていた。

警察の過剰指導
 各地の警察が地元の商店街などを神経質に指導したのは、フーリガン対策が名目だった。
 「フーリガンは来ないよ」と、このページで、ぼくはなんども主張した。同じ意見を述べた人は、ほかにもおおぜいいた。
 警察も、その道の専門家だから欧州のフーリガンが日本へ来て暴れる可能性の少ないことを十分に承知していたはずである。
 にもかかわらず、警察はフーリガンの恐怖をあふりたてた。欧州でフーリガンが暴れている場面の映像を編集したビデオを作り、全国の会場都市で競技場周辺の商店街などで見せて回った。編集された映像はワールドカップの試合や競技場とは直接の関係はないものだった。
 こういうたぐいの話を「踏み切り問題」と、ぼくは呼んでいる。
 ある村に鉄道と道路が交差する無人踏み切りがあった。めったに人は通らないが、事故があってはいけないというので遮断機をつけた。1年たって事故は1度も起きなかった。「遮断機のおかげだ」と一部の人びとは言った。しかし、無人踏み切りのときにも事故は起きていなかったにもかかわらずである。
 フーリガンの騒ぎはなかった。警察は「厳重に警備したおかげだ」と主張するだろう。しかし、それほど警備しなくても、騒ぎは起きなかったはずである。
 むしろ、警察等の過剰警備が、大衆のワールドカップの楽しみをスポイルしたのではないか。
 今回のワールドカップの失点の一つは、警察の過剰指導だと思う。


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