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サッカーマガジン 1998年11月18日号
ビバ!サッカー

W杯の入場券問題(四)
−2002年に向けてK−

 日韓共催の2002年ワールドカップでは、入場券の売り方がフランス大会以上に難しい問題になりそうだ。切符は国内用だけでも絶対に不足するだろうと思う。海外向けをどう処理するか、日韓の経済状態の違いに応じた価格差をどう処理すべきか。問題は複雑多様である。

☆ヤミ切符はあったが…
 フランス・ワールドカップの期間中、パリの屋根の下で一人暮らしをしていた。
 一人暮らしで、わびしいのは食事である。朝はホテルであわただしくすませて飛び出すが、昼と夜に相棒がいないので、ひとりでレストランに行くのは惨めな思いだ。
 ある日、ひとりで昼食をとろうと小さなレストランの前に張り出してあるメニューを眺めていると、後から英語で話し掛けられた。
 「日本食を探しているのかね。いっしょに食べようよ」
 振り返ってみたら背の高い中年のガイジンだった。聞いてみるとアメリカ人だという。ご同様に「ひとりでメシを食うのはわびしい」と思っていたらしい。
 なにもパリまで来て日本食を食べることはないので、話し合いでベトナム料理を食べることにした。
 「ワールドカップを見にきたんだ。これが4度目だ」と、そのアメリカ人が言う。
 「これまではニューヨークのエージェントで入場券が買えたんだけど今度はなくてね。あっても、えらくプレミアムがつくんだ」
なるほど。日本でも事情は同じらしいよ。
 「ところがだよ。パリヘ来てみると切符は、いくらでも、あるじゃないか。これはおかしいよ」 
 彼がいうのは「ダフ屋」つまり非合法の切符売りのことである。ニューヨークのダフ屋では手に入らないのに、パリのダフ屋は切符を持っている。なぜ? というわけだ。

☆地元では余っていた?
 フランス国内では切符は余っているのにアメリカで買えないのは、国内用が多すぎて、海外への割り当てが少なすぎたからだろう――と、このアメリカ人は言いたいのだ。
 こういう意見は、ヨーロッパでは大会の1年も前から起きていて、EU(欧州連合)では政治問題になっていた。
 しかし、ぼくの見るところ、地元への割り当てが多いのは当たり前である。それが街のマーケット、つまりダフ屋に出回っても、ある程度は市場の調整機能が働いているわけでやむをえない。 
 ついでに言えば、ダフ屋を非合法にしないで、ちゃんとしたビジネスとして認めれば、暴力団などに付け込まれるのを防ぐことができるのではないかと思う。
 それはともあれ、多すぎたのはフランス国内に一般用として売り出された分ではなく、スポンサーやVIP用などに割り当てられた分である。それが、それほどサッカーが好きでない人に接待用として渡ったり、市場に出回りたりしていた。
 フランス大会では、ほとんどのスタジアムが満員になった。売りあげを確保することには成功している。しかし、販売の方法と割り当てに問題が多すぎた。
 もうひとつ付け加えると、スタジアムの周辺で売っているダフ屋の切符は、それほど高くなかった。準々決勝のフランス対イタリアのとき、額面750フランが、試合開始3時間前で2000フランだった。日本でスポンサー筋から手に入れる価格より安いくらいである。

☆日本ではどうなる?
 「日本では、こうはいかないよ」と、ぼくはパリのアメリカ人に忠告した。
 「ダフ屋の取り締まりも厳しいからね。それに…」
 日韓共催の2002年のときも、開催地元には多くの切符を割り当てなければならない。開催に協力するのだから地元市民に優先権があるのは当然である。
 かりに人口50万の地方都市を考えてみる。スタジアムの収容能力が4万人だとする。半分を地元に割り当てたとして2万枚である。25人に1枚ということになる。
 この町でワールドカップの試合を見ることのできるのは、これが最初で最後の機会だろう。市民は誰もが見たいと思う。
 往復はがきで申し込みさせて抽選するのも一つの方法である。市民に限って1人2枚に制限して行列してもらうのも一つの方法である。
 いずれにしても、あっという間に売り切れる。
 こうして手に入れた切符を日本の市民は手放さないだろう。3倍、4倍のプレミアムがついても「そんなに貴重なチャンスなら自分で見にいく」と思うのではないか。そういうメンタリティーは、日本と欧米ではだいぶ違う。
 「そうかね」
 パリのアメリカ人は溜め息をついた。
 「それじゃ、韓国へ行って見ることにしよう。物価もあっちが安いだろうしな。ところで、東京からソウルへ新幹線で行けるのかね」


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