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サッカーマガジン 1997年4月30日号

ビバ!サッカー

ワールドカップ共催の意義

 2002年のワールドカップ日韓共催でアジアが変わるだろうか、というテーマの討論が「スポーツ社会学」の先生方の間で行なわれた。イベント一つで国際情勢が大きく変わるわけはない。しかし、両国の関係とアジアの情勢が少しでも、いい方に動くように努める必要がある。

☆日韓共催か分催か?
 鴨川べりの桜がほころびはじめたころ、京都の立命館大学を会場にスポーツ社会学会が開かれ、そこでサッカーのワールドカップ日韓共催が取り上げられた。
 3日間の会議で、いろいろな研究発表がある。ワールドカップを取り上げた討論は、その分科会の一つだった。2日目の3月27日に「スポーツはアジアをどう変えるか」というタイトルでシンポジウム形式で行なわれた。
 最初に司会者がテーマについて、次のような説明をした。
 「ワールドカップの日韓共催は両国の新しい関係を構築する可能性を持っていると期待されているが、一方では、実際には共催でなく分催になるだろうという懐疑的な意見もある。はたして、ワールドカップはアジアを変えるだろうか?」
 「共催でなく分催になる」というのは鋭い指摘である。
 共同開催といっても、一つの試合を日本と韓国にまたがって行なうことは不可能だ。ヨットの外洋レースであれば、韓国の港を出発して日本の港にゴールできるが、サッカーではそうはいかない。
 2002年には開会式を韓国でして決勝戦を日本で行なうことになっているから、大会全体としてはヨットレースみたいなものと言えないこともない。しかし、実際のところは出場チームを二分して両国で別べつにグループ・リーグから準決勝までをすることになる。 
 大会運営の面では、共催というより分催である。

☆見栄の張り合いは困る
 共催の意味は、大会運営の面ではなく、両方の国民の「心のもち方」にある。日本と韓国の人びとが、ともに同じ大会を力を合わせて開催しているという気持ちを持てるようであれば、共催の意義は非常に大きいが、その逆では困る。
 シンポジウムでは、韓国体育大学のイ・ジョンヨン(李鍾栄)先生が「ワールドカップと韓国社会」という興味深い発表をした。そのなかに次のような話があった。
 韓国の大衆にとって、サッカーは特別に日本への対抗意識をかきたてるものである。というのは日本に植民地として支配されていた時代に、サッカーの試合では日本に勝つことができ、また大衆は公然と自分たちのチームを応援できたという歴史があるからである。 そうであれば、日韓分催のワールドカップは、かえってマイナスの効果を生むかもしれない。
 お互いに相手の国に負けない運営をしようと必要以上に張り合って、ぜいたくな施設や接待の競争になるかもしれない。
 いい施設や親切な接待は参加選手や外国からの応援団にとってはありがたいが、その場限りで将来の役には立たないものであればムダな投資になる。
 その競争が両国国民の対立感情をますます激しくさせるようであれば、共催の意義はまったく失われる。
 日韓共催が二つの国の見栄の張り合いでは困る。両方の大衆が力を合わせて一つの仕事をやりとげようという気持ちになる必要がある。

☆高い政治的判断
 シンポジウムには、ジャーナリストの佐山一郎さんがパネリストとして出席して、ワールドカップ招致の経過を報告した。そのなかに次のような指摘があった。
 両国のサッカー関係者は最後まで単独開催を主張したが、政治家のレベルでは1995年7月から共催論が出ていた――という話である。共催決定の1年近く前である。
 そのころ韓国に行って帰ってきた日本の政治家が、しきりに共催案を口にした。そのことに、ぼくも気が付いてはいたが、これは韓国の逃げ道作りだろうと見ていた。
 韓国は建前としては単独開催を唱えているが、招致運動で日本に負けるとなると国民感情を逆なでする。だから、日本側から共催を打ち出させようと裏で工作している。ぼくは、そういうふうに推測していた。
 最近の新聞に、これに関連して日本サッカー協会の川淵三郎副会長の話が出ていた。朝日新聞夕刊のインタビュー連載の一部である。
 共催になって意気消沈していた川淵氏たちに、日本招致国会議員連盟会長の宮沢喜一・元総理が「サッカー関係者は良い決定だと思わないかもしれないが、多くの日本国民、そして歴史が共催を高く評価しますよ」と話した、というのである。
 日本と韓国の政治家が、高い立場から、広い視野をもって、両国の関係ひいてはアジアの将来を考え、共催を支持したのであれば、すばらしい。
 そういう期待にこたえられるような大会にしなければならない。


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