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サッカーマガジン 1997年1月1日号

ビバ!サッカー

アジアカップ予選リーグの評価

 アラブ首長国連邦(UAE)で開かれているアジアカップが、毎晩テレビで中継されている。遠い砂漠の国で開かれている大会を日本で見ることができるのはありがたい。見ている人もかなり多くて、ブラウン管の評論家続出である。予選リーグの試合ぶりを評価すると……。

☆一喜一憂の“評論家”
 「シリアとの試合のときは、これはだめだと思ったけど、ウズベキスタンに対しては見違えるようだったね。4対0だからすごいよ」
 気候温暖で風光うるわしい兵庫県加古川市の大学に勤めながら、ぼくも毎晩、テレビにかじりついているが、仲間の先生方のなかにも結構、見ている人がいで、にわか評論家続出である。テレビの威力はたいしたものだ。
 ぼくは一試合、一試合の結果に一喜一憂したりはしない。初戦が2対1、逆転勝ちの苦戦だったからといって悲観することもないし、次に4点取ったからといって「この調子なら優勝だ」と楽観することもない。
 40年以上にわたって、ジャーナリストとして、いろいろな試合を見てきているから、サッカーのボールは丸くて、どちらの方向にも転がることを知っている。長い目でみれば結果を出すのは実力だけれども、一つ一つの試合の勝負は、実力以外のいろいろな要素に支配される。運もあるし、不運もある。
 今回のアジアカップの最初のステージは3グループに分けてのリーグ戦だった。しかも4チームのうち上位2チーム、場合によっては3チームが決勝トーナメントの準々決勝に進出するシステムである。これなら1試合負けることがあっても、実力があれば取り返せる。
 決勝トーナメントに進出する実力を、日本が持っていることを、ぼくは信じていた。だから、ブラウン管の前で、はらはらしたり、どきどきしたりすることはなかった。

☆リーグ戦の運、不運
 アジアカップのような短期間の連戦だと大会の全期間を通じての戦い方にもポイントがある。酷暑の砂漠の国での戦いだから、なおさらである。
 慣れない土地に行って、あまり対戦したことのない相手と争うのだから、最初の試合は調子が出ないのが当然であり、慎重に戦うのが常識である。ワールドカップでも、初戦は引き分けが多いものである。
 今回、日本は前回優勝国、ディフェンディング・チャンピオンとして予選なしで出場した。これは、コンディションを整えて参加するためには有利な点ではあるが、アジア同士の試合経験が足りなくなるという心配もあった。準備のための試合を組んではいるが、タイトルをかけた真剣勝負と親善試合の竹刀(しない)の勝負では、どうしても違いがある。コンディション作りが、十分にできるなら、真剣勝負をくぐり抜けてきた経験の方が、きわどいところで力を発揮する。
 そういうことを考えると、初戦で未知の相手だったシリアに苦戦したのは、それほど不思議ではないし、相手の自殺点で同点にできたのは幸運だったともいえる。「シリアは格下」というような調子の報道もあったが、これはアジアのサッカー地図を調べないでの評価だと思う。
 ウズベキスタンから4点をあげることができたのは、実力プラス幸運だった。テレビで見るかぎり、ウズベキスタンに守りのミスが多かったのは幸運だった。そのミスを鋭くつくことができたのは実力である。

☆加茂監督は正しい!
 最初の2試合に連勝したから、第3戦の中国との試合では、無理をする必要はなかった。「引き分けでいいところだった」と加茂監督が話していたが、そのとおりだと思う。
 ただ、手抜きをするのは難しい。
 負けても決勝トーナメントに進出できるにしても、1位で出るか、2位で出るかによって準々決勝の相手が変わってくる。また、今回の場合は決勝トーナメントの第1戦を中3日でやるか、中2日でやるかという日程の有利不利もからんでいた。
 またベテランの主力選手を休ませて、コンディションを整えることも考えられるところだが、これには二つの問題がある。
 一つは、主力選手、たとえばカズを休ませることによって、チーム全体のリズムが狂ってしまうことである。短期間のトーナメントで、いったん狂ったリズムを立て直すのは難しい。
 もう一つの問題は、日本へのテレビ中継があり、新聞社も特派員を出して報道している大会で、どの試合もファンが関心を持って見ていることである。お客さんがいなければ最終的な結果だけに、こだわってもいいが、多くのファンが一つ一つの試合に関心を持っているのだから、どの試合も、しっかりと戦わなければならない。
 加茂監督は、そういう事情を十分に考慮して中国との試合を戦っていた。その選手起用と戦いぶりは間違っていない。
 さて、決勝トーナメント。これは一発勝負で運不運が大きく左右する。


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