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サッカーマガジン 1996年5月29日号

ビバ!サッカー

FIFAの良識に期待する!

 2002年のワールドカップ開催国決定が目前に迫った。アジアの隣国同士、日本と韓国の激しい競争で、この期に及んでも「共同開催にすべきだ」などと雑音が絶えないのは困ったものだ。決定権をもつFIFA(国際サッカー連盟)理事会の良識ある決断を期待したい。

☆共同開催論の非常識
 日本の政治家がソウルを訪問して、たちまち先方のペースに巻き込まれ「2002年のワールドカップは日本と韓国の共同開催に」などという筋の通らない話が伝わってくる。総理大臣の橋本龍太郎さんが、すぐに「FIFAの規則で、ひとつの国で開催することになっているそうだから、単独開催でいくべきだ」と良識ある意見で打ち消してくれたのは幸いだった。
 アジア・サッカー連盟の幹部が、同じアジアの仲間同士の対立を心配して「共同でどうか」と、あっせんするのなら気持は分かる。同じ家族の兄弟げんかを避けたいのは、立場上、当然である。
 しかし、この土壇場になって、事情を知らない日本の政治家が、相手側のペースに乗せられるのは見識のない話だ。
 世界のサッカーの事情を十分に知っていて、立候補の前に大所高所から、そういう議論が出てくるのなら結構だが、この期に及んで、事情を知らない政治家が口を出し、その影に相手方の動きがちらちらするのでは「策に乗せられている」と思われても仕方がない。
 ワールドカップの歴史のなかで、過去に複数の国の共同開催の動きがなかったわけではない。ベルギー、オランダ、ルクセンブルクのベネルクス三国が、共同で立候補しようとしたこともある。
 しかし、これは立候補の前に、FIFAの規則の変更の可能性を探っての話である。理事会の投票直前に変な動きをするのとは筋が違う。

☆開催能力は十分!
 日本が先に立候補し、韓国が続いて立候補した。それぞれ、自分の国に能力があることをPRし、世界の世論に訴えて招致活動をした。あとは決定権をもつFIFA理事会が、どう判断するかである。
 FIFA理事会にお願いしたい。
 単独のスポーツ大会としては他に比べるもののない大規模なイベントを開催するための能力を、次の三つの角度から客観的に判断していただきたい。
 第一に、経済と政治と社会の安定度は、どうだろうか。
 第二に、スポーツの運営能力と競技施設の準備状況はどうだろうか。
 第三に、サッカーの普及度と国民の関心はどうだろうか。
 経済、政治、社会の安定度で、日本が世界有数、いや世界のトップであることは、疑いもないと思う。どの国も、なんらかの問題点を抱えているのは当然だが、いま日本ほど安全で生活の不安が少ない国はない。
 スポーツ大会の運営能力についても不安はない。数々の国際スポーツ大会を開催してきた競技団体の経験は十分である。15の会場候補地の自治体は、適切に準備を進めている。批判はあるにせよ、いざ、やるとなったら日本の官僚組織の能力は世界一である。
 競技施設についていえば、新幹線の車窓からも見える横浜国際総合競技場(仮称)は、大会6年前に早くも外側の全容が現れるまでになっている。
 サッカーへの関心については、Jリーグの成功と少年サッカーの普及ぶりを見れば十分だろう。

☆冷静にみて日本だ!
 日本と韓国のスポーツ大会招致合戦になると、1988年のオリンピック開催を名古屋とソウルで争ったときの話が出てくる。
 あのときIOC(国際オリンピック委員会)総会の投票で名古屋が敗れたのは、ソウルがなりふり構わぬ運動をして金と女で委員を買収したんだと、多くの人が信じている。
 当時、ぼくは東京で新聞社のスポーツ部(運動部)のデスクをしていたが真相は違う。 
 競技施設の準備は、ソウルの方がはるかに進んでいた。名古屋のメーンスタジアムの候補地は、郊外の丘陵のなかで、まだ草木が生い茂っていた。ソウルでは総合的なスポーツ施設がすでに一部は完成、工事が具体的に進んでいた。
 IOC総会がドイツのバーデンバーデンで始まる前に、オリンピックとサッカーのスポンサーを扱っていた敏腕のイギリス人のエージェントが東京に立ち寄った。その人物は、世界のスポーツ事情に通じている点ではナンバーワンだった。銀座で食事をしながら投票の見通しを聞いたら、彼はあきれた顔をしてこう言った。「なに言ってるんだ。ソウルに決まっているじゃないか」
 ソウルの弱点は緊張している南北関係だった。しかしソウルには「アジアの中進国で初めて」というキャッチフレーズがあった。
 2002年のワールドカップは、事情が違う。FIFAの理事に良識があるなら、冷静に客観的に判断して、世界のサッカーのために、日本を選ぶだろうと信じている。


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