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サッカーマガジン 1995年7月26日号

ビバ!サッカー

セミプロ時代は来るか

 サッカー・マガジンの創刊以来、30年間、書き続けてきたのは「オリンピックよりワールドカップだ」ということと「アマチュアリズムは間違っている」ということだった。この二つの考えは、ようやく日本でも認められるようになったが、もう一つ、残された課題がある。

☆オリンピック至上主義
 今は昔。
 1967年にメキシコに行ったことがある。そのころは、まだ海外旅行のチャンスは非常に少なかった。外国のサッカー情報も、ほとんど、日本に入っていなかった。
 だから、サッカー情報があふれている現在の日本と比べると、30年たらず前のことではあるが、今は昔である。
 何のためにメキシコに行ったか。
 もちろん、サッカーのためではない。当時は、勤め先の新聞社で「サッカーを見に外国へ特派してくれ」なんて言ったら「明日から出社しなくていいよ」といわれかねないほどサッカーは日本では認められていなかった。
 1964年の東京オリンピックのあとで「スポーツといえば、オリンピック」と日本人の大部分が信じ込んでいた。そういうわけで、メキシコに行ったのは、オリンピックのため、それも翌年のメキシコ大会の準備と予備取材のためだった。その3年後には、同じメキシコでワールドカップがあるのだが、当時の新聞社のお偉方は、そんなことは、まったく知らなかった。サッカーを取材して来いとは命ぜられなかった。
 古き、情けない時代である。
 さて、メキシコに着いて、翌年のオリンピックの準備をしている地元の役員にインタビューしたら、その役員が得意顔で話してくれた。
 「メキシコ・オリンピックが成功することは間違いない。運営にも、多くの人が熱心に協力している。来年のオリンピックがワールドカップのよいリハーサルになるだろう」

☆アマチュアリズム
 「オリンピックがサッカーのリハーサルだって! これはニュースだ」と躍り上がって原稿にして東京に送ったけれど、紙面に載ったときは、当然のように、その部分は削られていた。オリンピック至上主義の日本では「サッカーの大会のリハーサルだなんて間違いに決まってる」と思われたのだろう。
 この旅行の時に、もう一つ、カルチャーショックがあった。
 アカプルコという港町に行ったとき、タクシーに乗ったら運転手さんが得意そうに話し掛けてきた。アカプルコは観光の町なので、英語を話すタクシー・ドライバーがいたのである。
 「明日はサッカーの試合だ。だからタクシーの仕事は休むんだ」
 「そりゃいいね。でも仕事を休んだら奥さんに叱られるだろ」
 「とんでもない。おれはプロフェッショナルのゴールキーパーなんだぜ。サッカーも仕事だ」
 「プロの試合に出るのか。それでお金をもらえるのか?」
 「もちろん」
 当時の日本のスポーツ界は、オリンピック至上主義とともにアマチュアリズムで、こり固まっていた。スポーツでお金をもらうのは、よくないことで、プロになるのは、アマチュアとは完全に縁を切って別の世界に入ってしまうことだと、思われていた。
 タクシーを商売にしながらプロのサッカー選手であるようなことが、外国ではふつうに行なわれていることを、ほとんど誰も知らなかった。

☆パートタイムのプロ
 これは30年近く昔の話である。
 今は、日本でも様子が変わった。オリンピック至上主義もアマチュアリズムも、かなり影は薄くなった。
 しかし「タクシーの運転手が同時にプロのゴールキーパーである」というような考え方については、どうだろうか。
 アカプルコの運転手さんの場合は、本人が自慢したほどれっきとしたプロではなかったかもしれない。しかし、当時の日本のアマチュアとは明らかに違っていた。日本では認められていなかったパートタイムのプロサッカー選手だった。
 このような、いわゆるセミプロのスポーツ選手は、日本では今もまだ、市民権を得ていないと思う。
 フルタイムのプロは認知されて、プロがアマチュアといっしょにプレーしても問題にはされなくなった。Jリーグは、そういう考え方が、日本のスポーツ界で認められるようになって、はじめて成り立ったものである。しかしJリーグでも、プロといえばフルタイムのプロであって、一人の人間が二つの職業を持ち、その一つがサッカーである、というような考え方は一般的ではない。
 今後の日本で、アカプルコの運転手さんのようなプロサッカー選手が通用するようになるだろうか。
 年功序列、終身雇用がいいとされている日本の労働環境では、パートタイムは無理だという考えもある。
 しかし、日本のスポーツをさらに発展させるには、セミプロの考えを認めることがカギになるのではないかと、今、ぼくは考えている。


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