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サッカーマガジン 1994年11月23日号

ビバ!サッカー

アジアのサッカー情報を!

 イタリアやブラジルのサッカー情報は、専門誌にも、テレビにもあふれているが、アジアの国のサッカー情報は、なかなか日本のマスコミには紹介されない。そこで、アジア各国のサッカー情報を、お互いに交換しようと、サッカー・ライターの組織作りが計画されている。

☆AFWAを作ろう!
 広島のアジア競技大会の期間中に市内の全日空ホテルで「アジアのサッカー記者を歓迎する会」が開かれた。大会を取材に来たアジア各国の報道陣のなかで、サッカーを専門にしている記者を招いて、日本のサッカー記者といっしょにパーティーを催したのである。日本の新聞通信社の記者の集まりである日本運動記者クラブのサッカー記者会と、雑誌などに寄稿しているサッカー・ライターの集まりである日本サッカー・ライターズ協議会が主催者になった。
 このパーティーの席上で、バングラデシュから来たアザム・マハムードさんが、こんな挨拶をした。
 「Jリーグの成功で、日本でもサッカーが非常に盛んになったことを喜んでいます。アジアの各国ではサッカーは、もっとも大衆的なスポーツです。日本の皆さんに、もっとアジアのサッカーに目を向けてもらうためにも、各国の記者がお互いに協力して情報を交換するための組織が必要です」
 アザムさんは2年前、アジアカップのときに、日本に来て「アジア・サッカー・ライターズ協会を作るのに協力してくれ」と持ちかけてきた。
 アザムさんは、アジア各国のベテランのサッカー専門記者に呼び掛けて、英語の頭文字をとってAFWAと呼ぶ組織を作り、情報交換のシステムを築き、お互いに取材するときの便宜を提供できるようにすることを計画した。
 その熱意に打たれて、広島のアジア大会の時に、アジアのサッカー記者の集まりを開いたわけである。

☆取材と情報の交換を!
 このパーティーの前に、AFWAに賛成している各国の代表的なサッカー記者に集まってもらって、打ち合せ会議を開いた。
 アジアは広いので、ある程度は、それぞれの地域で連絡を取りやすい人がいい。またサッカーが好きで、今後ずっとサッカーを担当しつづける人であって欲しい。そういう人で英語での会議に参加してもらえる人に来てもらったわけである。
 アザムさんが、これまでの経過について熱弁をふるい、議論の結果、次のようになった。
 @東アジア、東南アジア、南アジア、西アジアの各地域から、それぞれ1〜2人の発起人を選ぶ。
 A12月にクアラルンプールで開かれるアジアサッカー連盟(AFC)の40周年記念行事の時に発起人が集まって正式に発足の会議を開く。 
 BAFWAは、各国の組織の連合体ではなく、個人の集まりとする。
 あまり堅苦しい組織ではなく、取材の便宜や情報を気軽に交換できる仲間の集まりにしたいと、ぼくは希望した。
 日本のファンは、セリエAやACミランのファンバステンについては、なかなか詳しい。しかし、アジアカップや中国のリーグやインドの得点王などについては、ほとんど知識がない。 
 これではいけない。 
 アジアの情報を、しっかりと取材して、自分たちの地域のサッカーに注目してもらうようにしたい。そのためにAFWAが役に立つように、と考えている。

☆誤解を解くために
 広島でのパーティーには、AFCのピーター・ベラパン事務総長も、日本サッカー協会の長沼健会長も、Jリーグの川淵三郎チェアマンも、忙しい中を駆け付けてくれた。
 地元の中国新聞の早川文司さんの尽力で、ホテルがサービスしてくれたのか、予算が乏しいにもかかわらず、なかなか豪華な料理が出た。
 あまり、いいパーティーだったので誤解をした人もいた。
 「この裏には、日本が2002年のワールドカップを誘致するための狙いが隠されているのではないか。費用は2002年の招致委員会が出したのだろう」というのである。
 実際に、そういう趣旨の記事が、ある雑誌に出た。これは、とんでもない、誤解である。
 公表するつもりはなかったのだが、誤解を解くために、止むを得ず明らかにしておきたい。
 この4月に、ぼくはミズノ・スポーツライター賞をもらった。このビバ!サッカーの連載が認められたものだった。
 その賞金を、そっくり提供して、広島でアジアの記者の集まりを開く費用に宛てたのである。いわば経費は、ビバ!サッカーを愛読していただいている読者に出してもらったようなものである。
 AFWAは、アジア全体のものだから、日本にも韓国にも、味方することは出来ない。独立で中立でなければならない。
 だから、2002年の関係団体に協力を求めるようなことは慎んだのである。


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