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サッカーマガジン 1990年3月号

ビバ!サッカー ニューヨーク発

ニューヨークで見たトヨタカップ
日本のアナウンサー、解説者を思う

スペイン語のチャンネルで  
日本のテレビ局のサッカー中継を海外で見た喜びと感慨!

 東京で12月17日に行われたトヨタカップの試合を、ぼくはニューヨークで見た。もちろんテレビでだ。 
 毎回、国立競技場で見ていたのを、記念すべき第10回大会に生で見られなかったのは残念だけれども、ニューヨークに住んでいても、テレビでちゃんと見ることが出来たのは、ぼくにとっては、特別に感慨深いものがあった。 
 というのは、十数年前、この欧州と南米のチャンピオン同士の試合を東京でやろうと、友人たちと画策したときに、その狙いの一つとして考えたのが「日本のテレビ局が制作したサッカー番組を世界中で放映しよう」ということだったからである。 
 この狙いは、第1回からもう成功して、日本テレビ制作のサッカー中継をブラウン管に載せる国は、年々増えている。そして、ついに10回目に、その恩恵を、ぼく自身が海外で受けることになったわけである。 
 残念ながら、ぼくがニューヨークで見たのは、生中継ではなかった。東京で試合のあった次の土曜日、12月23日の午後の録画中継だった。時差があるので6日半遅れである。マンハッタンでの放映は、スペイン語のテレビ局だった。 
 米国には非常にたくさんのテレビ局とチャンネルがある。ぼくの住んでいるマンハッタンでは、30以上のチャンネルを見ることが出来る。その中にはスポーツ専門のケーブル・テレビもあるし、スペイン語やイタリア語の国のテレビ局の番組を放映するチャンネルもある。 
 マンハッタンでトヨタカップを放映したのは、ユニビジョンというスペイン語のテレビ局だった。 
 後で聞いたところによると、トヨタカップの試合の米国内での放映権は、ESPNというスポーツ専門のケーブル・テレビ局が買ったのだそうである。ケーブル・テレビというと小さな会社のように思われるかも知れないが、ESPNは、全米にチャンネルを持っている有力なテレビ会社である。 
 ところが、トヨタカップの試合が行われた時間は、米国東部では土曜日の夜10時から12時にかけてだった。 
 いま米国は、フットボールとバスケットボールのシーズンの真っ最中である。その土曜日の夜は、米国のスポーツ専門のテレビにとって重要な時間帯だ。だから、ESPNが、トヨタカップの生中継をするのは無理だったようだ。 
 米国内でも、ESPNが録画で中継した地域があったかもしれない。しかし、ニューヨークでは、スペイン語局のユニビジョンが(多分権利を譲り受けて)放映した。
 ニューヨークにはスペイン語を話す人たちがたくさん住んでいる。しかも、その人たちはサッカーが好きである。だから、大手の英語のチャンネルでは出来ない放映でも、スペイン語のチャンネルでなら可能だったのだろう。
 ともあれ、ニューヨークでトヨタカップが放映されたのは、うれしかった。しかし、英語のチャンネルで生中継してもらえたら、もっと良かった。
 1994年の米国でのワールドカップ開催を機会に、英語を話す米国人のサッカーファンが増えて、将来は、英語のチャンネルで生中継されるようになってほしいものである。

テレビ中継と解説者
アナウンサーが次々に選手の名前を言ってくれれば十分!

 「外国でテレビを見るのはたいへんだな。言葉がわからないだろう」日本の例の友人が、同情を裝って、国際電話でからかってきた。
 心配ご無用。サッカーの中継に関する限り、英語だろうが、スペイン語だろうが、ぼくには何の不自由もない。よく言われるように、サッカーは世界の言語で、試合を見るのに通訳は必要ない。 
 ただ、テレビの場合は、画面が小さいから、一人一人の選手を見分けるのが難しいし、戦術的な動きを判断しにくいという問題はある。しかし、日本語のテレビ中継でも、それは同じことである。 
 選手を見分けるには、むしろ外国語の中継の方が都合がいい。欧州や南米のサッカー中継では、アナウンサーが、ボールの渡った先の選手の名前を、次々に言うからである。 
 日本のアナウンサーも、選手の名前を次々に言うべきだと、ぼくはかねて主張しているが、なかなか実行してくれないのは残念だ。 チームの戦術的な動きについては、テレビの画面で分かるようにしてくれと要求する方が、無理かも知れない。説明を補うとすれば、それこそ解説者の仕事だが、日本のテレビの解説者は、その点、はなはだお粗末である。 
 数カ月前に過去のトヨタカップの試合のビデオを見る機会があり、そのときいまさらのように気が付いたのだが、解説者は、出場チームについてほとんど知識を持っていない。 
  出場チームの最近のプレーぶりや、一人一人の選手の特徴を知っていなければ、試合の解説は無理だと思うが、日本のテレビでは、かつての名選手や協会の役員が、かなり昔の自分自身の体験と理論を、目の前の試合とはあまり関係なく、雑談みたいに、しゃべるだけである。 
 中南米や欧州のテレビ中継では、ゲーム中の解説はほとんどない。 
 ニューヨークで見た中継では、スタジオのアナウンサーが、試合の前とハーフタイムと終了後に、新しい情報を紹介しながら、多少の説明を加えただけだった。 
 日本でも、試合中はアナウンサーだけがしゃべって、解説は試合の前後とハーフタイムだけにしてもらいたいと思う。 
 ニューヨークでのトヨタカップの中継は、アナウンサーが選手の名前を次々に言ってくれるので助かった。スペイン語だけれど、固有名詞は日本語でも外国語でも同じである。 
  全体の動きは、日本のテレビ局の画面にしては、比較的、ロングショットの画面を多く使っていたので、分かりやすかった。それに、試合の前にメデジンとミラノで両チームを直接見て取材してあったから、画面外の動きもある程度は想像できた。 
 最後に、コマーシャルについても付け加えておこう。 
 ニューヨークでの中継では、プレー中のコマーシャルは、まったくなかった。試合の前後とハーフタイムだけである。 
 主なスポンサーは、わがトヨタ自動車と米国のビール会社だった。

ほんとはバレージが最優秀
主将として守りを戦い抜いた功績。エバニは殊勲技能賞!

 トヨタカップの最優秀選手に、決勝点を挙げたエバニが選ばれた――と新聞で読んで、ぼくは「またか」という気がしていた。最優秀選手は、当日記者席にいる新聞・通信社の投票で選ぶのだが、プレーの内容を見ないで、得点したという結果だけで投票した記者が多かったのじゃないかと思ったからである。 
 しかし、後でテレビを見て「うーむ、今回は仕方がないか」という気にもなった。 
 今度のトヨタカップは、くろーと好みの守りの試合だったようである。 
 ACミランは守備ラインを下げて慎重に守り、ナシオナル・メデジンは、中盤で激しくチェックして、激しく守った。「世界一のタイトルをかけた試合だから負けられない」と勝負にこだわっている緊迫感が、テレビの画面からも伝わってきた。 
 こういう守りの試合では、とくに活躍した選手を見つけにくい。
 攻めでは、個人の力で相手を打ち負かす場面がしばしば出て来るが、守りは、皆が揃って頑張らないと、いい守りにならないからである。一人だけが活躍しているような守りだと、弱いところを破られて、結果として、いい守りにはならなくなる。 
 緊迫した守りの激闘に決着をつけたのが、エバニのフリーキックだった。まったく隙間のないようにみえる守りの壁を巻いて、ポストぎりぎりにスピードのある技巧的なキックがはいった。 
 延長後半終了の寸前というタイミングも劇的だった。最優秀選手を決めかねていた記者たちが、目を奪われたのは当然だろう。 
 しかし、この試合の良さが、緊迫した守りにあったことを考えると、ほんとうの最優秀選手は、守りの中心だった選手ではないだろうか。 
 ブラウン管で見たところでは、かりにナシオナル・メデジンの方が勝っていれば、ゴールキーパーのイギータが、最優秀選手だっただろう。
 高いボールに積極的に飛び出し、相手の攻め込みをペナルティーエリアの外まで出て止めた守りは、ナシオナルの好守のカギだった。
 とはいえ、ゴール正面のフリーキックから決勝点を取られたのだから、あの失点はゴールキーパーの責任でもある。したがってイギータは、敗れたチームの傑出した選手として敢闘賞というところである。 
 勝ったACミランでは、主将のバレージが守りの中心だった。ACミランの守りが最後まで崩れなかったのは、バレージの頑張りと技術と判断のお陰だったのではないか。 
 そういうふうに考えると、ACミラン生え抜きのベテランとして、チームの精神的支柱でもあったのだから、最優秀選手の自動車はバレージにやりたかった、という気がする。 
 エバニは、最後の土壇場で決勝点をあげたのだから殊勲賞である。そして、あの見事なフリーキックは技能賞でもある。
 ニューヨークで見たテレビ中継の画面には「マン・オブ・ザ・マッチ」と出ていた。「最優秀選手」という日本語が、あるいは適当ではないのかも知れない。


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