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サッカーマガジン 1977年6月10日号
時評 サッカージャーナル

背番号のつけ方について

中国のGKは「0」
 「高校サッカー中国を行く」というタイトルのテレビ番組を見てサッカー選手の背番号に「0番」のあることを教えられた。新発見である。
 春休みに中国を訪問した全国高校選抜チームに、テレビ局のカメラマンが同行して撮影したドキュメントだが、その中に写っている中国側のゴールキーパーが「0」の背番号をつけている。ゴールキーパーはふつう「1」に決まっているので、これはちょっと奇妙な感じだった。これは、たまたまそういうのにぶつかっただけで「中国ではGKの背番号は0」と決まっているわけではないだろう。
 現在の日本では、たいていの場合、背番号は「選手によって」決まっていて、必ずしも「ポジション」にはよらない。たとえば三菱の藤口選手はもともとフォワードのウイング・プレーヤーで「11」をつけているが、ポジションが守備ラインに移っても、やっぱり背番号は「11」である。これは「11」が藤口選手自身を示すもので、彼のプレーしているポジションを示すものではないからである。
 大会ごとに選手の背番号を登録し、ポジションにかかわらず、選手はその番号を背中につけて出場するというのが、もうすっかり固定した習慣になった。したがってゴールキーパーの背番号は「1」でなくても差し支えはないわけだ。
 これは1964年の東京オリンピック以降に日本で一般化した習慣だと思う。それ以前には背番号はポジションによって決めるのがふつうだった。それも第2次世界大戦以前の選手のならべ方である“ツーバック・システム”をもとにして、後方のGKから順番に同じラインでは右から左へ1から11までをつけていた。したがってゴールキーパーは1、左のウイングは11に決まっていた(図1)。当時はそれが常識だったが、いまの若い選手たちには、あまりピンとはこないかもしれない。
 ツーバックからWM型→4−2−4→4−3−3と布陣が移り変わっても、背番号のつけ方は、昔のツーバック・システムの番号の選手が移動した形になっていた。たとえばWM型のサードバックは、5番が中盤から下がってきてバックラインの中央にはいり、さらに4−2−4や4−3−3になると6番もバックラインに下がる形になった。一方、前線は7、9、11が両ウイングとセンターフォワードである(図2)。
 この背番号のつけ方はイギリス式であって、本誌に連載されているエリック・バッティ氏の「グッド・・フットボール」の説明図の番号は、この方式になっている。だから若い読者には理解しにくいんじゃないかと、ぼくはひとごとながら案じている。

アルゼンチンの方式
 このエリック・バッティ氏式の背番号が、どこへ行っても通用するかというと、そうではない。
 2月にアルゼンチンのインデペンディエンテが来日したとき、記者会見の席上で、ぼくは「アルゼンチンには独特の背番号のつけ方があるのか」ときいてみた。
 通訳をしてくれた吉水君(慶大出、古河電工のサッカー選手だった人)が、向こうの説明をきいて
 「だいたい日本と同じようです」
 という。
 ぼくは「いや、これは大切なことたんだから具体的に正確にきいてくれ」と重ねて食い下がった。
 そうすると向こうでも、こっちの知りたいことを察してくれて次のように説明してくれた。
 「守備ラインは4番が右のディフェンダーで、3番が左のディフェンダー。2番と6番がセンターバックとストッパー。5番が守備的な中盤プレーヤー、7、9、11が前線のプレーヤーである。これはアルゼンチン式の習慣である」
 つまり、図に書けば図3のようになる。
 ブラジルやウルグアイなど南米のサッカーは、みな似たようなものらしい。ディフェンス・ラインの番号の並び方に多少の違いはあるが5番は中盤に残っている。
 このことは、5番を“サードバック”として中盤から守備ラインに下げたWM型が、南米のサッカーの歴史では取り入れられたことのないことを示している。
 このように背番号のつけ方の習慣によって、戦法の移り変わりやその国のサッカーの歴史をうかがうことができる。そういうわけで「なぜ中国には背番号0のゴールキーパーがいたのか」をぜひきいてみたいと思っている。


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