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サッカーマガジン 1976年12月10日号
時評 サッカージャーナル

安田主審は悪くない

不手ぎわはあったが
 これは前号の続きであって、続きでない。     
 10月8日の日本リーグ、古河−永大の試合があわや没収試合になりそうだったトラブルについて、前号では「主審を取り囲んで文句をつけた永大チームが悪いのは明白だ」と書いた。
 今号では、そのときの主審の処置について書こうと思う。同じ事件をとりあげるという点では前号の続きだが、前に書いたように主審の処置が不手ぎわだったとしても「チームの悪さ」が割引されるわけではない。「けんか両成敗」ではなくて、それとこれとは「話が別」だから、これは前号の続きではない。
 さて、あのときの安田主審の態度だが、25分も試合が中断したという結果からみて、処置が不手ぎわだったことは確かである。
 審判員は、試合がスムーズに継続されるように、あくまで毅然とした態度で、最大の努力をするのが当然である。
 選手たちに取り囲まれて、こずかれたり、けられたりしたら、そういう選手を、1人ずつ退場させたらいい。背後からやられて、どの選手かわからなかったら、線審に意見を聞く方法もある。
 チームの主将に対して、統制をとるように強く警告するのも、一つの手段である。さらに、ベンチの監督に対して、秩序ある態度をとらせるよう要求するのも、よい方法ではないが、最後の手段としては必要かもしれない。
 ともかく、あの場合に安田主審は、もっと試合続行のための努力をすべきであったと思う。あれ以上フィールドにいたら、ピストルで射ち殺されかねない状況だったとは、ぼくには想像できない。
 こまかい点をあげれば、ほかにも「こうすればよかった」と思われることは、いくつかある。当日の安田主審の審判ぶりが「不出来だった」とはいえるだろう。
 しかし「不出来だった」のと「悪いことをした」のとは、まったく違う。釜本選手のプレーが不出来だったためにヤンマーが負けることもあるが、だからといって釜本選手が「道徳的に悪かった」といえないのと同じである。
 要するに「安田主審は、審判技術のうえでは、まずい点はあったにせよ、道徳的に悪い点は、まったくない」と、ぼくは思う。サッカーの「ゲームの精神」に反し、ルール違反を承知のうえで主審を取り囲んだ選手たちの「悪さ」と、同じ次元で論じられないのは、そういうわけである。
 ところがその後、日本サッカー協会は「安田主審を2週間の資格停止にした」と発表した。長沼専務理事は発表のときに「けっして永大と両成敗ということではありません」とつけ加えたが、この処置には、いささかフに落ちないところがある。
 発表によれば、この処置は「綱紀委員会に諮問し、その答申にもとづいてとられた」のだという。
 これがまず奇妙である。
 綱紀委員会は、英語のDisciplinary Committeeの訳で、「ゲームの精神に反し、ゲームの声価を落とすような行為」を処罰するための委員会である。単なる競技規則違反ならば、主審がフィールド上で反則をとればすむことだから、それは綱紀委員会の任務ではない。それ以上の「道徳的に悪いこと」を取り締まる“サッカーの精神の法廷”が綱紀委員会である。

おかしなコーキ委員会
 そういうわけだから、安田主審の審判技術上の不手ぎわを、永大チームの規律違反と同列に綱紀委員会が処置したのは、おかしいと思う。審判技術上の問題は、本来ならば審判委員会(これは現役の審判員を含まない委員会にするのが本当だ)で討議しなければならない。
 審判割当を変更して、トラブルにまきこまれた審判員を2週間ほど休ませるのは結構である。その審判員自身に落ち着きを取り戻させる期間があっていいし、事情を知らない他のチームが、その当座は不信感をもつおそれもあるから、他の審判員に代わってもらったほうがうまくいくかも知れない。しかし審判割当の変更は、あくまでも行政上の措置であって処罰ではないから綱紀委員会の仕事ではない。
 綱紀委員会が審判員を処罰する場合も、ありえないわけではないが、それは賄賂をもらって一方のチームの利益を図ったとか、人種的偏見にもとづいてフエを吹いたというようなケースである。
 今回の安田主審の処理については、審判委員会で十分に研究し、いちじるしく不適切だったと判断されれば協会の理事会に報告して本人に注意をし、一般的な問題として、たとえば「審判員は試合継続のための最大の努力をするように……」というような形で通達を出し、一般の人にも理解してもらえるよう周知徹底をはかる――というようにするのが本当だっただろう。
 ついでにつけ加えると、「綱紀委員会に諮問し、その答申にもとづいて処置した」というのも誤解されやすい。綱紀委員会は、いわば“司法機関”だから“行政機関”である理事会や運営委員会の機能からは離れ「その決定は最終的なもの」とするのがふつうである。外国の例を協会でよく研究してもらいたい。      
 もう一つ、つけ加えれば“綱紀委員会”という名称もいかがなものか。いまの若い人たちは「コーキ」といわれてもピンとこないだろう。「綱紀」とは「大きいツナと小さいツナ」のことだが、それがなぜ規律統制を意味するのか、協会の理事でもご存じない方がいるのではないか。これはわかりやすく「規律委員会」と改称するよう、おすすめしたい。


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