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サッカーマガジン 1976年7月10日号
時評 サッカージャーナル

ヤンマー勢のボイコット

釜本、吉村の欠場理由
 マンチェスター・シティを迎えて行われた日英サッカーに、釜本邦茂、吉村大志郎、阿部洋夫のヤンマー勢3人が、日本代表に指名されたにもかかわらず、参加しなかった。それぞれ理由はあるようだが、今後4年間の日本代表チーム指揮官に選ばれた二宮寛・新監督をヤンマー勢がボイコットしたという印象を、一般のファンは受けたかもしれない。
 サッカー協会が第1戦の当日になって遅まきながら発表したところでは「負傷などの理由で辞退を申し出たので認めた」となっているが、「負傷など」の「など」とは何だろうか。
 聞くところによると釜本は引っ越しと日程が重なり、阿部は第2戦当日が自分自身の結婚式だったということである。だが、ぼくの勤めている新聞社という職場には疑い深い連中が多くて、一筋ナワの説明では納得しない。
 「ほんとはなにか裏があるんじゃないの。じゃないとヤンマーの3人がそろって出られないなんて偶然すぎるよ」 
 「阿部は、これまでは代表選手じゃなかったからオフシーズンに結婚を予定していたとしても仕方ないけどだな、釜本や吉村には、5月に日英サッカーがあるのはわかっていたことじゃないのか」
 「6月にタイのクィーンズ・カップにヤンマーが行くんだろ。それで単独チームとしての練習をしたいってヤンマーのほうではいったそうじゃないの。それならそれで堂々とそう発表すりゃあいい」
 サッカー担当ではないがスポーツ界の裏面に詳しい同僚たちは、かなり手厳しい見方をした。
 日本代表チームの二宮新監督はついこの間まで三菱の監督で、ヤンマーとは日本のトップを争うライバル同士だった。しかも三菱は東京のトップクラス、ヤンマーは関西の代表チームということで東西の対抗意識もあるから、ヤンマー勢にとっては、三菱の二宮が日本代表の指揮官になっておもしろくない感情があるのではないか――と疑い深い連中は「他のスポーツでもよくあった例だよ」と勝手な推測をいうわけである。「フジタの下村か、新日鉄のワッタン(渡辺)だったらガマンするって話だよ」と無責任なウワサ話まで聞き込んできたのもいる。
 「そんな感情論じゃないと思うな」と、ぼくは一応反論はしてみた。しかし、ぼくにしたところで協会発表の「負傷など」という人を食ったような理由をうのみにするほどお人よしではない。
 考えるに、次のようなことはいえるのではないだろうか。
 二宮監督が三菱でやろうとし、また今度、日本代表チームでやろうとしているサッカーは、これまでヤンマーが育ててきたサッカーとあまりにも違いすぎる。
 二宮監督はスイーパーをおいた厚い守備から逆襲の速攻をねらう。
 一方、ヤンマーは南米風のゾーン・ディフェンスをとり入れ、吉村の足技を基点に、独特の遅攻をみせてきた。 
 こういうチームカラーの違いがあまりにも対照的だったから、三菱の二宮監督が日本代表の監督になったことに、ヤンマー勢が抵抗を感じたとしても不思議はない。
 これは精いっぱいおだやかな、「負傷など」の「など」についての説明ではないかと思う。

協会の思い上がり?
 ところで、かりにヤンマー勢の代表辞退が、かなり感情的要素を含んでいたとしたら、それは「けしからぬこと」なのだろうか。言葉をかえていえば、日本のサッカー・チーム、あるいはサッカー選手は、日本サッカー協会から代表選手に指名されれば、負傷や病気など本当に「やむをえない事情」がない限り、絶対に指名に応じなければならない義務があるのだろうか。
 実をいえば、今回のヤンマー勢の代表辞退のようなことは、日本でこそ珍しく、真相は“玉虫色”に隠されているが、ヨーロッパのサッカー界では日常茶飯事といっていい。
 早い話が、今回来日したマンチェスター・シティのゴールキーパーが、サブのキース・マクレーだったことの裏には、同じような事情がある。 
 正ゴールキーパーのジョー・コリガンは、アメリカ建国200年祭国際大会に参加するイングランドの代表に指名されたために来日できなくなったのだが、ドン・レビー監督が遠征直前に急にコリガンを指名したのは、ストークーシティのピーター・シルトンがレビー監督のやり方に不満をもって、突然代表を辞退したための補充だったという。シルトンが不満をもったのは、5月中旬のブリティッシュ・インターナショナルの試合でリバプールのレイ・クレメンスに代表チームのレギュラー・ポジションを奪われたためであると外電は伝えている。
 ぼくの個人的意見をいえば、シルトンの態度も、今回のヤンマー勢のやり方も、いいことだとは思わない。代表チームに協力することは、サッカー協会に加盟登録するときの暗黙の前提だろうと思うからである。
 しかし、だからといって、日本サッカー協会が電話一本、手紙一本で代表選手を指名したり、所属チーム(クラブ)を通さずに、直接選手に働きかけたりすることができると思ったとしたら、とんでもない思い上がりである。
 代表チームでプレーさせるにはまずなによりも選手本人の自発的意思が必要であり、ついで所属チームの了解が必要である。他人の馬屋から勝手に馬を引っぱり出すのは泥棒だし、馬を無理やりに川辺に連れて行っても、馬がその気にならなければ、水を飲ませることは不可能なのだから――。


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